愛を伝えることの難しさ
以前、「愛すること」という題でコメントしたことがあった。「愛することとは許せること。」と結論づけている。その考え方は、今も変わっていない。ただ、「愛すること」には対象となる相手があり、相思相愛(今風に言うと両想いとなるのか)の形が確かに望ましい。片方の想いが強すぎるともう一方は、引き気味となってしまう。正に男女の愛の形がそれに当たる。
これを親子愛と当てはめてみると、意外に同様のものを感じる。違うとしたら、余程の事がない限り破綻しないことぐらいだ。母親が愛情と思って、子どもの面倒を過剰に見る。その事が子どもにとって、とてつもない負担とさせている場合が多い。
「愛」に重たさを感じた瞬間、それは「愛」ではなくなる。自分の想いが強すぎたと感じた時、少し押さえようとか、相手の想いが強いと感じた時は少し引こうとか、つまり冷静さも必要なのかも知れない。それは違うと考える人は、お互いぶつかりながら愛していける人達なのだと思う。それはそれで否定しない。
子どもを愛し、その気持ちをそのままのレベルで伝えたいと思うのであれば、子どもへの愛情表現の後少し子どもの反応を待てる親になってほしい。
きっと、期待以上の反応が返ってくるはず、子どもは親が思う以上に親を愛してるのだから。
November 16, 2007
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