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2010年12月

2010年12月28日 (火)

有難う!

 いつもブログを見て頂き、有難うございます。

 今年4月から再開し、私としては皆さまにおだてられながら良く続けたなあと思っています。来年はもう少し工夫しながら、楽しく、役に立つブログを目指します。応援宜しくお願い致します。

 さて今日は、「間(ま)」について一言。

 今年も色々な場所、場面で講演をさせて頂いた。その時、私が一番気を遣うのが「間」である。この「間」の取り方が上手くいった時、講演後の満足感が違ってくる。

 テレビでお笑い番組をよく観る。特に紳助さん、さんまさんの話芸に聞き入ってしまう。まあ、プロだからと言ってしまえばそれまでだが、本当に抜群の「間」を持っている。

 話の内容が面白いだけではない。聞く側のタイミングを見事に掴んでいるのだ。

勿論、お笑いの世界だけではなく、教師としても「間」、「間合い」の大切さを実感する。間違いなく笑いの「間」、「間合い」と共通しているのだ。

 だから、「笑い」とか「明るさ」は、講演では勿論、全く関係ないと思われる子どもたちの成長にも欠かせない感覚だと思う。

 来年も「明るく、楽しく、元気に。」をモットーに努力します。

 皆さま、良いお年をお迎えください。実家仙台に行ってきます。

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2010年12月21日 (火)

「押し」と「引き」

 私の職業は一応教師。でもセールスマンでもある。生徒募集はセールスから始まる。どうアピールできるか、どうやって信じていただくか、が勝負となる。

 セールスというと「押し」が勝負を決めるように思われがち。間違いではないがそれだけでもない。「引き」のタイミングが大事な役割を果たす。

 セールスでも柔道でも男女の仲でも勉強においても、「引き」のタイミングが必要かつ重要なのだ。

 昔流行った、曲名は忘れたが水前寺清子さんの「押してもだめなら引いてみな!」という歌詞にもあるように、「引き」は人としての「幅」と「ゆとり」を私は感じてしまう。その「幅」と「ゆとり」で「勝ち」に結びつくようにも思うのだ。勿論、その両方のバランスであることはいうまでもない。

 柔道で例えると拮抗した試合は、互いに「押し」続けている場合が多い。それは引くことは負けに等しいというイメージなり、教えがあるから引かないのである。でも引いた瞬間に技が決まることがあるのだ。だから「負けるが勝ち」という言い方もあるのかも。

 男女の仲についても同じ事が言える。この点について私はプロではないが、例えば男性が「押し」続けたとする。女性はそれ程嫌いでもないのだが、その男性を避けるようになってしまう。男性は女性から嫌われたと思い、「押し」を止める。すると女性はなぜ押してこないのだろうと気になってくる。次には女性から「押し」て来る。男性側の「引き」作戦成功となる。なんて・・・作戦を立てると女性は、そのままいなくなる場合もあるのでご注意を。

 勉強の「引き」は休憩だ。休憩の時間に勉強の段取りを考える。勉強の仕方について工夫する。そして次の「押し」へ穏やかに向かう。

 

 我々大人(40歳以上)は、「押し」と「引き」を楽しんでみよう!

 何か新しい発見があるかも。

 

 

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2010年12月18日 (土)

ショック!

 昨日、茨城県取手市で大事件が起きた。テレビ、新聞等で皆さんもご承知かと思うが、JR取手駅前西口のロータリーで、ナイフを持った27歳の男が停車中の江戸川学園取手中高校のスクールバスに乗り込み、生徒を襲った(ナイフで切りつけた)。バス停近くにいた2名の中年の女性も重傷。中高生11名を含め13名に重軽傷を負わせたことになる。死者がでなかったことが、最悪の中の救いであったと思う。一般の人たちが怪我することなく犯人を取り押さえたことも良かった。

 実は、江戸取は私の前任校であり、新卒で着任し、朝のバス乗車指導を3年間毎日やっていた。当時(30年前)の取手駅前のことや周りの情景が鮮明に甦った。とても懐かしく良い思い出の場所である。それだけに悔しい思いでいっぱい。

 昨日はその事件直後のニュース速報で、取手駅前で通り魔事件発生を知った。心の中で江戸取の生徒が巻き込まれていないか気になって、知り合いの江戸取の教師に電話した。残念ながら予想は的中だった。自分でもそれを知ってどうすることもできないのに、心だけが焦った。とにかく、ショックと憤りだけが残った。怪我を負った生徒さん、女性の方たちの怪我の治療だけでなく、心のケアもしっかりやってあげてほしい。

 最近、この種の事件が多い。同じ茨城県で起きた荒川沖駅構内での殺傷事件、秋葉原での殺傷事件。私たちも「またか!」という感覚ではいけないと思うが、防ぎようの無い事件だけに悶々としてしまう。

 勿論、事件を起こした犯人に対して、罪の償いを求めていくことや責任を求めることは当然だが、それだけでは済まない時代背景もあるように思う。何か根本が違ってきているような気がする。

 今、この日本において「何が足りないのか?」「何が間違っているのか?」それぞれの大人が考える時期にきているのかも知れない。

 

 そう考えると、やっぱり学校の役割は大きいですよね?勉強だけではない、「何か」を伝えていかねばならないですね。

 ひとりで何ができるか分かりませんが、私、もう少し頑張ってみます。

 

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2010年12月15日 (水)

今時の気遣い

 朝日の朝刊の記事。

 大好きな彼氏にメールをあまりしない、それは煩わしい女性と思われたくない、嫌われたくないが理由。女性側の想いが強いから、好きになった方の立場が弱いからだけではなさそうだ。

 ただただ、彼氏のメールを待っているが、2~3日連絡がないと流石に不安になるらしい。やっとの思いで連絡とると相手も何ら問題なし。嫌いになったわけでもないが面倒だった程度。私にしてみると何とも不思議な話だ。

 確かにうちの中高生を見ていても仲が良くても、常に相手を気遣い、仲がイイならそれぐらい大丈夫と思えるようなことでも、遠慮したりの様子に気がつく時がある。メールやりとりについてもこの記事と同じようだ。勿論、同性の友達に対してもである。

 本当の意味で、友達を大切にすることの形を知らないのだろうか?決してぶつからないし、もめ事を避けている。これで真の友達関係を築けるのか心配になる。平和主義なのか、友達を失ってしまうと寂しいと考えるのか、やっぱり理解できない。

 でも時代なのか?

 教師として、この状況を救う手段がないか、考える時に来ているかも知れない。

 男女とも逞しい人間に成長させる場所が、「学校」であると言えるように。

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2010年12月11日 (土)

柔道グランドスラム東京

 中村美里怪我のため欠場。実は今日試合だった。

 残念だけど、色々な意味で少し休養も必要と私は思ってる。

 本人は出場できないことに悔しさもあったようだが、私は早く治して次の試合に出場してほしいと願ってる。怪我は回復に向かってるとだけ、お知らせしておく。

 先月、アジア大会金メダル獲得のお祝いということで、中村と今年から中村と同じ三井住友海上にお世話になっている上村凜歩(ジュニアオリンピック57キロ級日本代表)と私の3人、叙々苑で思いっきり焼肉を食べてきた。確かにいっぱい食べた。美味しかった。体重制限があるスポーツは食べること、食べられることの大切さを知っているので、食べたときの満足感は格別なものがあるようだ。

 私の知り合いから、「美里ちゃんは笑わないね。」とよく言われるが、決してそうではない。お笑いも好きだし、仲間うちの会話ではよく笑っている。ごく普通の21歳の女性。

 

 次回の大会、そして2年後のロンドンオリンピックでは満面の笑顔となりますので応援宜しくお願い致します。上村も頑張ります。

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2010年12月 8日 (水)

「待てる」心を

 「早くしなさい!」 「まだ、やってないの?」これは口癖なのか、イラつきなのか、考えたことありますか?

 多分、それはどちらでもない。「せっかち」なだけと思う。

 以前、私もそうだった。あとちょっとが待てないのだ。あと1秒、あと1分、あと1時間、あと1日、あと1ヶ月が待てなくて損した経験がある。ただ、ちょっとと言っても単位は違う。それはその時その時で待ち方が違うので当然である。

 仕事が早い、対応が早い、寝るのが早い(これは私か)等々、企業戦士として活躍している人たち、またその奥さまたちにとっては大事なことであり、いわゆる「できる人間」の基本である。少し余談になるが、企業で活躍された方々が学校の校長になる話はよく耳にする。でも、失礼ながらその後の活躍された話や学校が素晴らしく生まれ変わった話は聞かない(決して彼らの悪口をいうつもりはないのでお許しを)。

 それは仕方のないことと私は思っている。

 学校の変革は、教師の「待てる心」が大事だからなのである。「待つ心」ではない。「待つ」は我慢の心も生まれかねないように私は考える。それに対して「待てる」は幅を感じる。だから「待てる心」なのである。

 つまり、企業で活躍された方々は「せっかち」が多い(それは能力が高いことでもあるが)。彼らは何をやるにも遅いことは、能力が低いとみてしまう。それだけにこの場面は早く、この場面は時間をかけてという状況判断はしない。早いことがいいことだから。

 勿論、私の言うことだけが正しいとは思っていないが、ぜひ考えてほしい。

 ちょっと横道に逸れてしまったが、学校でも家庭でも教師や親が少しでも「待てる心」を持っていれば、子どもが救われるケースがいっぱいあるように思うのは私だけでしょうか?

 愛しているのであれば、「待てる心」を。

 勿論、どう考えても早くやった方がいいものは早さを求めていいですからね。

 

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2010年12月 4日 (土)

皆さまのコメントに感謝

 昔からですが、やはり私は目立ちたがり屋で、観客が多い試合会場とか、応援が多い時は燃えるタイプみたいです。お陰さまでブログもコンスタントに書くことができて嬉しく思っております。多分、私は、幼稚で単純でかわいいからだと思います。(笑)

 さて、いつもいつも皆さまのコメントを楽しみにしております。最近、ブログを書くのはコメントが見たいがゆえに頑張っているようなものです。本当に有難うございます。

 今年は無理ですが、今度(来年中)にはブログを見ていただいている皆さま方とご一緒に、立食パーテイ的なものになると思いますが、集まってワイワイやりたいと考えております。もちろん、無記名状態と言いましょうか、名前は明かさないと言いますか、何か名案がありましたら、コメントでもメールでも結構ですのでお知らせください。

宜しくお願い致します。

 佐藤の「今度」は出ますよ!

 

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2010年12月 2日 (木)

親バカとは?

 親バカ賛成。バカ親反対。

 親バカはタイミングが勝負。自分の子どもが一番かわいいのは当然のこと。子どものために魅力ある親バカになってみよう。

 ただ、子どもが親に対して、表だってそれだけの愛なり、想いを持っているかと言えば、正直微妙だが。でもそれが普通。

 親バカは、一応周りを気にしつつ、自分の子どもだけに対しての一方的な愛情を注ぐ親のこと。

 バカ親は、自分の子どものことしか見えてない親のこと。うーん紙一重か。

 でも、この辺りがある程度共通した考え方だろう。

 実は、私の考えは違う。親バカになることは難しいのだ。

 親バカとしての成立は、親バカを受けた子どもが「親に対して、心から感謝の気持ちを抱いた時。」と考える。だから、親バカとは、簡単に使えないぐらい素敵で重い称号なのだ。

 バカ親と表現されるのは、どんなに子どものためと思って行動したとしても、それを子どもが理解し、感謝するまでには至らない。それでも、周りが見えないまま、その行為をやり続けてしまう。だから、バカ親と言われてしまう。

 結論、「正しい親バカ」を目指すには、常識的な行動が必要。子どもたちは、他人に迷惑かけてまでの愛情は要らない。

 娘がいる以上、かわいい「親バカ」目指します!

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