「待てる」心を
「早くしなさい!」 「まだ、やってないの?」これは口癖なのか、イラつきなのか、考えたことありますか?
多分、それはどちらでもない。「せっかち」なだけと思う。
以前、私もそうだった。あとちょっとが待てないのだ。あと1秒、あと1分、あと1時間、あと1日、あと1ヶ月が待てなくて損した経験がある。ただ、ちょっとと言っても単位は違う。それはその時その時で待ち方が違うので当然である。
仕事が早い、対応が早い、寝るのが早い(これは私か)等々、企業戦士として活躍している人たち、またその奥さまたちにとっては大事なことであり、いわゆる「できる人間」の基本である。少し余談になるが、企業で活躍された方々が学校の校長になる話はよく耳にする。でも、失礼ながらその後の活躍された話や学校が素晴らしく生まれ変わった話は聞かない(決して彼らの悪口をいうつもりはないのでお許しを)。
それは仕方のないことと私は思っている。
学校の変革は、教師の「待てる心」が大事だからなのである。「待つ心」ではない。「待つ」は我慢の心も生まれかねないように私は考える。それに対して「待てる」は幅を感じる。だから「待てる心」なのである。
つまり、企業で活躍された方々は「せっかち」が多い(それは能力が高いことでもあるが)。彼らは何をやるにも遅いことは、能力が低いとみてしまう。それだけにこの場面は早く、この場面は時間をかけてという状況判断はしない。早いことがいいことだから。
勿論、私の言うことだけが正しいとは思っていないが、ぜひ考えてほしい。
ちょっと横道に逸れてしまったが、学校でも家庭でも教師や親が少しでも「待てる心」を持っていれば、子どもが救われるケースがいっぱいあるように思うのは私だけでしょうか?
愛しているのであれば、「待てる心」を。
勿論、どう考えても早くやった方がいいものは早さを求めていいですからね。
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コメント
ド━━━(゚ロ゚;)━━ン!!
私もどっちかというと、多分せっかちです。
短時間で数点企画し、仕上がりの良い物、お客様に納得のいく物にできるだけ近づける。といった仕事をしているからかもしれません。
いいわけかもですが。。。。
子供が集団登校なのに、いつも5分前にまだ家でご飯食べてたりしていると、イライラしてしまいます。。。。
ココロにユトリを持っていきたいです。
時間にユトリを持てばココロのユトリに繋がって世界が広がるかもと、先生の言葉で考えました。
投稿: 烏丸 | 2010年12月 8日 (水) 15時51分
<待つ>と<待てる>の違い、目からウロコでした!私は今まで待てる大人ではありませんでした。待てる心が有ればもっと思慮深い行いができるはず。待てる心をを肝に命じます!
投稿: 久 | 2010年12月10日 (金) 15時52分
目の前の「やらなくてはいけない事」に日々追われ、いつの間にか子供にも、「せっかち」に対応していたと気付かされますσ(^_^;)
子育てには「長い目で見ること」が必要だとわかっていても、ついつい目の前の出来事に、子供を追い立ててしまっているのかもしれません。
今の子供達は、昔に比べてお稽古事や塾などに通う子が多く、幼い頃から時間に追われて育っているような気がします。せめて家庭では「待つ心」で接してあげたいと思います‥。
投稿: りんりん | 2010年12月11日 (土) 08時51分
いやー、先生,私もそう思っていました。「待てる心」は大切だと。
(自分の場合は「見守りながら待つ」「自分で気付く手助けをする」という言葉で考えておりました)
そう思って子供を育てて来ましたが,世の中の人は「どんどん、もっともっと、早く早く」ばかりで,なかなか「待ちましょう」というお人には出会えません。
子供達は段階を踏んで成長しているのです,あなたも子供の時があったのではないですか,お忘れですか、、、と思う事が多い世の中です。
人生は長い。
投稿: ぽん | 2010年12月14日 (火) 10時46分