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2011年1月

2011年1月29日 (土)

世界基準

 今、日本経済が危ない。私は経済のプロでも投資家でもない。

 しかし、海外(外国の専門家たち)から日本を見たとき、日本経済はかなりマズイ状態にあるらしい。今、円高状況にあるが、何かをキッカケに1ドルが200円、300円の状態になり得る不安が常につきまとっているようだ。国民の貯蓄分により、かろうじて国の借金もフォローされてはいるが、円安に転じたときを考えると本当に心配である。

 まずは総理大臣をはじめとする国会議員の皆さま方に、「日本を守って」と心からお願いしたい気持ちでいっぱいになる。

 私たち国民も経済や世界の中での日本について、少しは勉強しなければならない。

 「世界を知る」ということは、「世界基準」・「世界の常識」を知ることだと思う。そのことを知ることにより、初めて対応策を講じることができるのだ。

 例えば、「税金」についても国民としての義務、納めることへの誇りを感じることができるようになれば、日本は変わってくると思う。勿論、国よって違いはあるが、「税」に対する日本人の考え方、特に必要性(何のための)については私を含め、考え方が幼稚であると感じてしまう。

 世界基準を知ることにより、「日本の素晴らしさ」も知る。

 世界基準を知ることにより、「世界に勝てる」日本人が育つ。

 最近、大手企業においても、学生においても海外に出たがらない傾向があるらしい。それは、一言でいうと日本が素晴らしい国であることをみんなが認めているからかも知れない。

 しかし、「井の中の蛙」状態ではダメ。大海を知ったうえで、各方面に挑戦していく若者、いや若者だけではなく私たち熟年も含め、そんな日本人を増やしていきたいものだ。

 そして、行きつくところは人種を越えて「地球人」になることである。

 「世界基準」という言葉の意味は、「地球ルール」と勝手に理解している。

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2011年1月25日 (火)

「焦る」と「急ぐ」の違い

 東京の私立中学校の入試まで、あと一週間。

 受験の心得のひとつとして、知ってて欲しいことがある。

 「焦るな、急げ!」である。私が勝手に作った造語だが。

 今の時期、焦る気持ちは親も子も同じ。しかし、焦ることは良くない。

 確かに入試までの時間を考えると、秒読み段階に入ってる。だから、「焦る」。何に対して焦るのか分からないまま焦ってる。

 それは、気持ち的な部分だけの焦りで、本当は大したことではない。と信じて欲しい。

 やるべき事をやっていれば、問題ないことと思えばいいのである。

 やるべき事をやってない人は仕方ない、焦ればいい!

 ただし、キレ良く「急ぐ」ことは大切な時期となる。色々な意味で早い判断を求められたり、素早い行動が必要となったり、意識しての「急ぐ」は重要。

 生活のリズムのテンポを上げる(急ぐ)ぐらいの気持ちでいれば良い。テンポが良いと何故か風邪も引かない。試験の結果も良いはず(多分)。

 要するに入試に限ったことではないかも知れないが、「焦る」前に「急ぐ」ことから、やってみよう!という話。

 

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2011年1月20日 (木)

柔道ワールドマスターズ・バグー

 今月15日、アゼルバイジャン・バグーにて、柔道ワールドマスターズに中村美里が出場し、見事金メダルを獲得した。世界ランキングトップ選手が出場するレベルの高い世界大会である。怪我からの復帰戦での優勝は立派。

 決勝は、前回世界柔道で判定負けしている西田選手。寝技押さえ込みで一本勝ち。西田選手とは過去に7回対戦しているが、すべて僅差勝負だった。4勝3敗で中村美里がひとつ勝ち越してはいたが、今回の対戦で一本勝ちは初めて。色々な意味で大きい勝利であった。

 他の日本人選手は、中村の他に48キロ級の浅見選手、78キロ超級の田知本選手が金メダルで、男子は金メダルゼロという残念な結果であった。世界は広いと実感する。

 ロンドンオリンピックまで、あと2年を切った。中村の日本代表の可能性は非常に高いと思うが、油断はできない。中村の周りの人たちも色々と心配するが、本人は一番冷静。

 まあ、やってくれるでしょう!

 「日本の宝」と言われる日もそう遠くはないと思う。

  皆さま、応援よろしく!

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2011年1月18日 (火)

恐いおじさん!

 普段、私は電車に乗ることはない。ほとんど車での移動である。

 そんな私がたまたま山手線に乗った時の話。

 とにかく乗った人全員が座れるぐらいの空いてる時間帯に電車に乗った。私も当然座席に座った。近くに座っていた母子(母親は30歳前後、子は4歳ぐらい)がいた。その子が奇声を発しながら、座席で立ったり、座ったりを繰り返していた。

 職業病としては、思わず注意するぐらいのレベルの喧しさであった。母親は私を気にしてか、しきりにこちらを見ていた。

 すると次の瞬間、子どもに向かってこう言った。「恐いおじちゃんに怒られるから、静かにしなさい。」である。近くにいる恐いおじちゃんは、どう考えても私のことだった。そして、その後は、知らんぷり。幸い、子どもが静かになったので、私はそこにいただけで役に立ったと思い、何も言わず恐い顔をした。

 ダメ教師も同じ手段を使う。生徒に向かって「校長先生に怒られるから、やめなさい。」とか、「学年主任の先生が言ってたから、ダメです。」なんていう感じ。最近は少なくなったが、そんな時、私はそんな先生に「先生自身はどう考えてるの?」「いいの?ダメなの?」と聞いてしまう。当然、生徒からの信頼は得られない。

 前回の「他人の所為」の続きのような話になってしまった。そんな親もそんな教師も自分で責任をとらないように、あるいは自分が嫌われないようにしているのか、真意は分からない。そして、本気で子どもたちを愛しているとは思えない。

 ただ単に正面からぶつかって行くことが、恐いだけなのかも知れないが。それなら、考え方を直せばいい。

 

 今、失敗したなあと思うことがある。それは、私があの母子に電車の中で、もう少し大らかに対応してあげられなかったこと。残念!

 「恐いおじさんだよー」と一言、言いたかった。その時のお母さんの反応が見たかった。

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2011年1月14日 (金)

他人の所為(せい)

 自分の失敗を他人の所為にしている奴は成長しない。勿論、順調に結果を出している時は自分の力と自慢する。そして、そんな奴は感謝の念を持っていない。

 唐突にスタート、失礼。決して誰かをイメージしてグチを言ってるのではない。まあ正直なところ、これまで出会った誰かから思いついたことには違いないが。

 私自身も含めての話だが、人の所為にしたいし、明らかに90%はその通りという場面は確かにある。しかし、人の所為にしたところで、自分の想いを実現できないのであれば、嘆いてる時間がもったいない、という話。

 例えば、柔道や他のスポーツの指導をしていて思うことがある。それは、強くなりたい、上手になりたいと考えて努力している生徒がいるとする。そして、懸命に努力をしても結果がなかなか出ない時、本人の気持ち、親の気持ち、我々指導者の気持ちは色々である。

 実はこの時、一番大切なのは親の気持ちなのである。親は我々指導者に対して注文をつけても構わないと私は思う。しかし、子どもには「もう少し、工夫を」と、まずは本人に言ってほしい。少しは自分の責任でもあることをさりげなく伝えることが必要。

 本来、失敗までは行ってないとしても本人の努力不足だったり、明確な理由が見あたらないことが多い。だから、人の所為にもできるのだが、敢えて自分の責任と考えてみることが目標達成への近道と私は思ってる。

 すぐに人の所為にしてしまう親に育てられると、失敗は自分の所為ではないと常に考えるようになり、成長が止まる。そして、人に対して感謝ができない人間になってしまう。

 少し強引かも知れないが、換言すると、「感謝のできる人間は、自己責任を取れる人間であり、自分を見つめられる人間でもある。」

 「うまく行かないの誰の所為?」 「自分の所為かも?」 と考えてみよう!

 でもやっぱりアイツの所為かな?

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2011年1月11日 (火)

「そっちかよ?」

 明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

 

 冬休みをのんびり過ごしたわけではないのだが、今年初めての更新。

 漫才コンビ「さまーず」を知ってますか?  私は、「さまーず」の大ファン。

 「そっちかよ?」とはその三村さんのギャグ。

 会話というものは、相手の答えをある程度予測しながら成立しているものである。だから、気が合うと思ってる友人関係は、予想通りの答えを語り合えることを知ってる者同士の場合が多い(それが良いか否かは別にして)。

 でも、その予想を覆された時の回答は、意外性により面白さを感じてしまうこともある。だから、漫才のネタというより彼らの漫才テクニックとして使われるのだ。

 そして、意外性ともうひとつ大事な何かがあるように、私は思ってる。それは、考え方の幅、視野の広さに繋がっていくことである。

 例えば、ひとつの質問にひとつの答えしかないと誰もが思いがち。でも、少数の人の考えにせよ他にも答えがあるということ。そして、結果「そっちかよ?」となる。

 笑いにもなるが、勉強にもなる。

 「そっちかよ?」の意味は深い。

 人として、幅、ユーモアだけは身に付けたい。「そっちかよ?」の精神を忘れずに。

 

 明るさ、ユーモア、笑顔、思慮深さは今年も私のテーマにしたい。

 

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