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2011年3月

2011年3月28日 (月)

大地震 3

 仙台高校、順天堂大学で同期で仲良しだった渡辺裕之が生きていた。大学のOB会の安否情報により知った。

 彼は、現在宮城県亘理郡山元町立坂元中学校の校長先生だ。5日前携帯でやっと話ができた。

 その坂元中学校が避難所となっており、ある意味約300名の避難者の面倒を見ている感じだった。自分の奥さんの親族が亡くなっているにもかかわらず、家にも戻らずの状態らしい。「必要なものは何か?」と聞いたところ、「ジャージと運動靴がほしい。」ということだったので、私のお古ではあるが送ることにした。毎日、寒い日が続き、本当に大変そうだった。

 ところが、ここからが簡単ではなかった。まずは、宅配便の状況がはっきりしていなかった。インターネットで手当たり次第状況を調べた。そして私の家の近所に大和運輸さんの宅急便営業所を見つけ相談に行った。すると亘理の営業所までなら可能ということだったので、お願いした。

 一昨日、届いたと渡辺から連絡が入った。とても喜んでくれた。

 どうやら、自分の着るものを避難されてる方にあげていたようだ。本当に涙が出た。

 彼が一言、「こんなことことでもなければ、一生連絡しなかったかもなー」「これで会うきっかけができたな。」って。

 ちょっと不謹慎だが、不思議、妙に幸せな気分になってしまった。

 だから、みんな頑張れると思う。前を向くことだ。心の底から応援することだ。

 我々被災していない人間は、今やれる事をやればいいのだ。無理はしなくていい。

 でも何かやれる事はある。

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2011年3月22日 (火)

大地震 2

 皆さま色々とご心配有難うございます。

 父の様子を報告します。

 たまたま、仙台の実家は井戸水も使用しており、通電したことにより吸い上げポンプが稼働し、他の家より早めに蛇口からの水を得たようです。父は近所の方々にも給水したとのことでした。一時は実家が給水所となったようです。もう一つラッキーだったことは、実家は風呂用のお湯を電力により沸かしており、風呂にも入ることができ、かなり良かったみたい。これも近所の方が風呂に入りに来ているようです。ガスの復旧の目処が立っていない状況なので、皆さんも喜んでいる様子。実家は日毎に生活も落ち着いてきているように感じます。あとは、今後父に疲れが出なければいいなと思ってます。

 実は3月10日(木)から、私はツキが無かった。

 まずは、12日に卒業生の結婚式に呼ばれていて、主賓ということもありフォーマルスーツを新調していた。それで10日、ある大手デパートに出来上がったスーツを取りに行った。

 試着してみると、普通では考えられないレベルでの寸法違い、もう怒りを通り越していたが、後日直してもらうことにして持ち帰った。持ち帰ったが怒りが収まらず、当日、着ることを止めようと決めた。そう思ったら少し落ち着いた。

 そして翌日(11日)午前、いつもの通勤路でスピード違反で白バイに捕まった。しかも、私の車の死角にに入り、80キロに到達するまで突けられていた感じ。教師としてこんな対応はいけないと思うような態度を取ってしまった。

 「80キロ(制限時速60キロの道路)となったので捕まえた。」というので、思わず「79キロでサイレンを鳴らせ!」と言ってしまった。「私は教師だけど、万引きしそうな生徒がいたら、それを実行する前に指導してる。」とも言ってしまった。警察官はそれに対して何も言わず、「減点2点、罰金15000円です。」だけを連呼していた。

 そして、午後2時46分地震発生。

 なんか、とっても哀しい3月11日となってしまった。

 3月12日の結婚式には、いままでの礼服で参列した。まさに万難を排しての出席だった。

 私は花嫁側の出席者であり、花婿さんは警察官。私の挨拶の中でスピード違反の話をしてしまったが、花婿さん側は当然半分以上が警察官。みんな大笑いをしてくれた。なぜか少しホッとした。厄が落とせた気分。

 それ以来、良い事が続いているように思う。そう思うようにしてる。

 やっぱり明るく元気が大切、そしてたまに反省!

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2011年3月18日 (金)

大地震!

 大地震その時、私は国立にいた。あれほどまでに長く感じた地震は初めてだったかも知れない。震源地は本能的に宮城県沖と思った。携帯電話をみると残念ながら大正解。

 両親の安否確認にも時間を要したが、なぜか夜に私の留守電に親父の声で「大丈夫!」とだけ録音されていた。ホッとしたものの親戚が宮城、岩手に住んでる関係で東京にいる私が安否確認拠点となってしまった。というのは一番危険と思われた叔父たちの安否確認が終了するまで5日間かかってしまったことだ。津波の被害を受けた親戚も家だけなら、クルマだけならいいやという想いだったらしい。私もそう思う。生きてるだけで十分と思ったことだろう。

 私が仙台出身と知ってる方々より、お見舞いのご連絡頂きました。有難うございました。

 また、今回の地震で思い出すのは昭和53年の宮城沖地震。私は大学4年、ちょうど千葉県立船橋高校での教育実習中。当時は現在ほど通信網が発達しておらず、何日も実家と連絡が取れないまま、実習校の校長先生の厚意により「仙台に行ってこい」と言われ、クルマを借りて仙台に帰った記憶が鮮明に残っている。アパート暮らしだったので、近所の食堂のおばちゃんたちにおにぎりとおかずを持たされ、崩壊した実家まで辿り着いたことが甦ってきた。到着後、両親、近所の人たちが美味しそうにおにぎりを食べてくれたことも忘れられない場面となっている。あの時の方が個人的にはひどかったと父は話していた。今回は家の崩壊はなく、家財道具が倒れた程度だったらしい。

 いずれにせよ、それぞれの地域が立ち直るまでにはまだまだ時間と労力とお金が必要だ。それが実感。

 色々な意味で、皆さま方の各方面への温かいご支援よろしくお願いいたします。

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2011年3月10日 (木)

聖隷クリストファー中・高校

 昨日まで浜松にいた。

 昨年から本校理事長の指示で、浜松にある聖隷クリストファー中・高校の学校改革応援を始めている。私の経験を活かしてということになるが、どこまで期待に応えられるか?

 間違いないのは全力投球であること。

 今は、聖隷の先生方とのコミニュケーションを第一に考え、ベテラン、中堅、若手という感じで6グループに分け、話し合いをしている。今後、色々な場所、場面でぶつかり合いが起きてくると思うが楽しみである。一生懸命考え、行動するから波風も立ち、実に楽しい。

 そして、全教職員が全力で問題解決のための努力をする。その姿を見た生徒が実績を出してくれる。結果、学校が変貌する。

 やり続ければ何かが変わる。嘘じゃない。だから、やってみる。

 まず、「学校が変わろうとしている。」ことを伝えることから始める。そのためには人を集めることが大切となる。

 私の基本的人集め術。私がある塾の会長から学んだ「人集め」10箇条を紹介したい。

 皆さんも何かに役立ててほしい。

1.「人が集まるところに」人は集まる

2.「夢の見られるところに」人は集まる

3.「噂になっているところに」人は集まる

4.「良いものがあるところに」人は集まる

5.「快適なところに」人は集まる

6.「満足が得られるところに」人は集まる

7.「自分のためになるところに」人は集まる

8.「感動を求めて」人は集まる

9.「人の心を求めて」人は集まる

10.「自分の存在感を認めてくれるところに」人は集まる

 皆さんどうですか?

 静岡県内では、病院、大学とクリストファーの名前は有名。今後、意識して憶えておいてくださね。

 また報告します。

 

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2011年3月 3日 (木)

悩み解消法

 「先生って悩み無いですよね?」とよく言われる。余計なお世話と思いながら、結構当たっている。でも本当はそんなことはない。俺だって「秘密」もあれば、「悩み」もある。

 ただ、継続する「悩み」は確かに無いかも。いや、解消する努力をしているから、「悩み」がないように見えるのだ(本当に)。

 その佐藤流解消法を伝授したい。合う方には、良いと思う。

 その「悩み」は、一つなのか、二つなのか、三つなのか見極める。複数の「悩み」の場合、2倍、3倍ではなく、2乗、3乗となっていく。妙な形で絡み合うととても厄介なものへと変身する。

 「悩み」が複数となる前に解消することが理想であるが、すでに複数となっている場合、まず絡まった状態から「悩み」をバラバラにして考えるようにする。次に自分自身だけで解消できることなのか否か判断する。あるいは、自分で解消できるものをできるだけ早く解消させる。

 自分だけではどうしようもないと判断した時は、迷わず他の人の力を借りる。とにかく悩んでいる時間を短くする(たまに悩んでる自分が好きという方もいるが、それはそれで一生悩んでいればいい)。

 それから、もうひとつ根本的な考え方がある。それは、その「悩み自体」、解消すべき「悩み」なのか、そうでないのかという考え方。人は「悩み」があるから成長できる部分もあると思うから。そして、悩んでも明らかに解消できないものであれば、諦めるとか忘れるとかという努力へ変換していかねばならないということ。

 最後に、何に悩んでるか、誰に悩んでいるのか、「悩み」はいくつあるか、自力で解消できるか、解消へ向けての努力が無駄でないか、諦めた方が良いか、忘れた方が良いか、悩むだけバカかをできるだけ早く考え、自分なりの結論をだすことだと思う。

 そして、即実行!

 

 

 

 

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2011年3月 1日 (火)

日本人の契約

 浦賀にペリーが来航し、日本に開国を迫った。私がペリーさんの言葉を直接聞いたわけではないが、その時、彼が日本人と接して初めての感想は、「これから日本は間違いなく発展していく。」だったらしい。

 その理由は丁寧な挨拶、勤勉さ、そして誠実さを挙げたのである。その後日本は、ペリーさんの予告通り発展し、現在に至っているのだ。

 唐突だが、欧米社会において、契約書は非常に大切なものであり、かなりの意味と現実的な効力を持っている。今の日本社会においても勿論同じである。と思う。

 今一番身近に感じる契約は雇用関係ではなかろうか?

 皆さんはその契約内容をしっかり確認したことがありますか?

 プロ野球やJリーグの選手たちは、その契約の手本のようなものだろうと思う。当然、しっかりとした契約書ができているに違いない。

 ただ、日本はその書面での契約について、かなり遅れをとった国のような気がする。ここでペリーの話に戻るが、勤勉さ、誠実さがアダとなり、いわゆる「口約束」が発達したためだと勝手に思ってる。それでも皆が「口約束」通りに実行してきことも事実だったのだろう。だから、日本はしっかり成長してきたのだ。

 では最近はどうだろう?「口約束」どころか、書面での約束も実行されない場面によく遭遇する。嘘つき日本人が増えたのだろうか?

 自分の都合に合わせて欧米スタイルにしたり、日本のスタイルにしたりで、すべて適当になっているように感じる。そのため約束を破ることへの罪悪感や反省の心が薄らいで来ているように思えてならない。

 大人も子どももあらためて「約束を守る心」を持てるよう努力する必要がある。

 欧米スタイルのしっかりとした書面と日本人の心を合体させた契約書がベストだと私は信じている。

 私自身、契約書について、今後もっと勉強したいと思ってる。「後悔」しないために。

 実は個人的なことだが、最近少しだけ「口約束」的なことで後悔してしまった。

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