相性?
「相性がいい」とは、どんなことか考えてみた。
私の考えだと「愛性」・「合性」の総称が「相性」と思う。勿論、当て字だが。
だから「相性」の始まりは、親と子の関係であれば「愛性」であり、教師と生徒の関係であれば「合性」と考えて頂ければ、解りやすいだろうと思う。
共通して言えることは、「心地よい距離感、居心地の良さをお互いに感じ取れる関係。」が「あいしょうがいい。」ことだと私は理解している。そしてもうひとつは「やる気になっている状態を保てる関係」、つまり前向きの気持ちを維持できることが「相性がいい」ということになる。
さて、あらためまして皆さまはお子さまとの「愛性」はいかがでしょうか?「相性がいい」状態を目指すことは親として当然。そのためには「愛性」からのスタートが大切。ただ、正直「愛性」の場合、生まれてからすでに育まれている部分もあり、お子さまが大きくなるに連れて難しくなることも事実。残念ながらこれまでの「愛性」は今イチとお考えであれば、「合性」に切り換えることも秘策になるかも。
教師として生徒との「相性が悪い」と感じた場合、当然努力をするが、努力が逆効果となることも多い。それは「相性」ゆえのことかも知れない。もし、私が生徒や親に「生理的に受け入れられない。」と言われたとしたら、多分「相性が良くなるための努力はしない。」ような気がする(念のため言っておくがこれまでに言われたことはない、ただもしかして俺のことを親子で嫌い?と感じたことはある、残念)。それは努力でなく、迎合となるから。もしそうなった時は、その親子のために自分がやれることを黙ってやるしかない、といつも考えている。そういう努力は教師として当然であるとも思っている。
何か屁理屈の多い文章となっているが、今回私が皆さまに一番伝えたいことは「相性がいい」ことは、お互いに成長できるということと、「相性がいい」と思い込むことにより、その成長のスピードを加速できるということを知ってほしいから。
スポーツの指導においても、強い選手を多く育てる指導者は常に「相性」を気にしているはず。私がそうだという意味ではないが、私は「相性がいい状態にする」自信がない場合、信じてもらえないかも知れないが、その選手が技術的にどんなに優れていたとしても実は受け入れをお断りしている。
それは、「相性のいいの指導者」に出会うべきと思うからである。
今後、「夫婦の愛性」についてもいつか考えてみたい(言っておきますが、一般論としてのこと、決して自分のことではありません)。
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