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2011年4月

2011年4月30日 (土)

相性?

 「相性がいい」とは、どんなことか考えてみた。

 私の考えだと「愛性」・「合性」の総称が「相性」と思う。勿論、当て字だが。

 だから「相性」の始まりは、親と子の関係であれば「愛性」であり、教師と生徒の関係であれば「合性」と考えて頂ければ、解りやすいだろうと思う。

 共通して言えることは、「心地よい距離感、居心地の良さをお互いに感じ取れる関係。」が「あいしょうがいい。」ことだと私は理解している。そしてもうひとつは「やる気になっている状態を保てる関係」、つまり前向きの気持ちを維持できることが「相性がいい」ということになる。

  さて、あらためまして皆さまはお子さまとの「愛性」はいかがでしょうか?「相性がいい」状態を目指すことは親として当然。そのためには「愛性」からのスタートが大切。ただ、正直「愛性」の場合、生まれてからすでに育まれている部分もあり、お子さまが大きくなるに連れて難しくなることも事実。残念ながらこれまでの「愛性」は今イチとお考えであれば、「合性」に切り換えることも秘策になるかも。

 教師として生徒との「相性が悪い」と感じた場合、当然努力をするが、努力が逆効果となることも多い。それは「相性」ゆえのことかも知れない。もし、私が生徒や親に「生理的に受け入れられない。」と言われたとしたら、多分「相性が良くなるための努力はしない。」ような気がする(念のため言っておくがこれまでに言われたことはない、ただもしかして俺のことを親子で嫌い?と感じたことはある、残念)。それは努力でなく、迎合となるから。もしそうなった時は、その親子のために自分がやれることを黙ってやるしかない、といつも考えている。そういう努力は教師として当然であるとも思っている。

 何か屁理屈の多い文章となっているが、今回私が皆さまに一番伝えたいことは「相性がいい」ことは、お互いに成長できるということと、「相性がいい」と思い込むことにより、その成長のスピードを加速できるということを知ってほしいから。

 スポーツの指導においても、強い選手を多く育てる指導者は常に「相性」を気にしているはず。私がそうだという意味ではないが、私は「相性がいい状態にする」自信がない場合、信じてもらえないかも知れないが、その選手が技術的にどんなに優れていたとしても実は受け入れをお断りしている。

 それは、「相性のいいの指導者」に出会うべきと思うからである。

 

 今後、「夫婦の愛性」についてもいつか考えてみたい(言っておきますが、一般論としてのこと、決して自分のことではありません)。

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2011年4月25日 (月)

何になりたいの?

 先々週から、授業がスタートした。

 私の担当は中1男子の体育実技と高2男子の柔道である。

 中1男子の授業での話。

 一度説明すると、その後すぐに見事な動きをする。決して運動能力レベルが高いという意味ではない。整列の仕方や器具の使い方の説明は一回で十分ということ。見た目は子どもでも立派な大人という感じである。

 勉強に関しても「努力していきたい」とキッパリ答える。何のためかは言わない。

 しかし、「何になりたいの?」と質問すると、すぐに答えられる生徒は少ない。まずは「精一杯頑張って、お母さんを喜ばしたい」ことが先のようだ(親としてはちょっとかわいい)。不思議なのは「お父さんを喜ばせたい」は、ほとんどいないこと。

 教師佐藤としては「お医者さんになりたいから勉強頑張る!」とか「将来アメリカで仕事がしたいから英語だけはしっかりやりたい」とかと答えてほしいのだが、そうではない。

 でも志望している大学ははっきり答える。その意欲を消すわけにもいかないので、「楽しんで努力せよ!」と一応口走るようにしている。だから、私の本音としては激励ではない。

 ただ、この中学生活3年間で「夢」や「目標」をしっかり設定させ、高校生に進級させていくことが私たち教師の役割と考えているし、「渋渋スタイル」でもある。

 「目標設定」ができた生徒は強い。

 「何になりたい」かを持ってる子は明るく元気である。

 「明日、なりたい職業が変わってもいいのだ」

 とにかく、いつでも「夢」「目標」を追っていること、意識していることが重要なのである。

 お子さまに「何になりたいの?」を何度も聞いてあげよう!

 そして、そのお子さまの答えを否定しないこと。

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2011年4月21日 (木)

エイプリルフール

 私は今年の4月1日を狙ってた。しかし、大震災もありちょっと不謹慎と思い、我慢した。

 多分、もう10年ぐらい前の4月1日東京新聞の記事だったと記憶している。一面に大きく「実は、きんさん、ぎんさんは三つ子でその妹はブラジルに住んでいる、名前はどうさん!」正に金銀銅の三姉妹(しかもどうさんの写真入り)という記事。

 そして、もう一つの記事が「2千円札があまりにも人気がないので、10枚を19000円で各銀行にて両替できる。銀行には長蛇の列。」という内容。

 単純な私は当然のごとく信じ込み、朝からうちの先生方に得意げに吹聴していた。

 午後になり、その新聞を見た他の教師が隅っこに書かれている「今日はエイプリルフール!」の文字を発見。やっと笑い話となった。最近はこんな記事があるかどうか確認していない。

 その時、「悔しさ」より「楽しさ」を感じたことを鮮明に憶えている。日本人のセンスも満更でもないと思ったし、この記事に対してクレームが出ないことを自分のことのように祈ってしまった。後日談であるが、かなりのクレームがあったらしい(やはり日本人は真面目で厳しい)。

 なかなか難しいと思うが、こんな「いたずら心」と「優しさ」が今回の大震災復興に、根拠は無いものの必要な気がする。

 私自身も「嘘」の内容にもよるが「笑顔」になれる「嘘」であれば、年に一度ぐらい許せる心の幅を持ちたいと思う(持っているつもりだが)。

 この二つの内容は、今でも本当の話みたいですよね。そして、楽しいですよね。

 来年の4月1日のブログをご期待ください。

 

 みなさまにちょっとお願いがあります。

 このブログの右下に「教育ブログ」という箇所をクリックしみてください。かなりの数の教育に関するブログがあり、ランキング争いに参戦することにしました。やる以上はトップを目指したいと思います。勝負は更新数ですね。私も努力しますが、応援も宜しくお願い致します。

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2011年4月16日 (土)

ボランティア活動の難しさ

 ボランティアの元々の意味を調べてみた。義勇兵の意。所謂、徴兵に対しての志願兵ということ。自らの希望により兵となること、と書いてあった。

 私は単純にボランティア活動とは「自ら動き出し、見返りを求めない活動。」と思っている。調べた結果としても決して間違いではなさそうだ。

 例えば被災地に自らの意志で入り、当然活動費用も自腹。特に今回の東日本大震災において、食事・寝泊まりを確保できない人はボランティア活動には参加できない、という条件ながら参加希望者は溢れるばかりだったらしい。素直に凄いと思う。

 ただ、これも素直に感じる部分であるが、ボランティア活動に参加する人たちは、自分の仕事・生活はどうしてるのだろうと考えてしまう。限られた時間(休暇が取れる範囲)であったり、学生であるために時間が調整できたり、つまり自分の可能な範囲での活動なら問題ない。心配なのは、自分自身の生活の犠牲が大きくなりすぎないよう考えて行動して欲しいと思ってしまう。

 「困ってる人が目の前にいたら、何とかしてあげよう。」と誰でも思うことではある。

 しかし、自分の色々な意味での限界も冷静に判断しておくことも必要。ボランティア活動がその活動している本人にとって重荷や足かせとなってはいけない気がする。

 ボランティア活動を受ける側も支援してくれる方々の「熱い想い」を素直に受け入れられるのは、「無理のない、そして、自然な行動。」と私は思う。

 無理な行動は、相手に余計な気遣いをさせてしまうこともあることも知っておきたい。

 誤解の無いように付け加えるが、ボランティア活動を否定しているものでない。

 今回、自分の生まれ育った地域での災害でありながら、私自身大したこともできず、情けないと思ったこと。そして、その理由として自分の仕事・生活に追われていること。

 それなのに自分の現状の生活を中断させてまで、支援に行くという気持ちを持ってる人たちが多かったこと。

 「感謝のみ!」です。本当にそう思う。

 

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2011年4月12日 (火)

「生かされている」

 まずは報告。

 10日(日)静岡武道館での朝比奈沙羅ちゃん(中3)の試合結果。

 全日本カデ(17歳未満)柔道体重別選手権大会70キロ超級において見事優勝した。

 8月にウクライナで実施される世界カデ柔道体重別選手権大会の日本代表にも選出されました。

 ブラジルのリオ(2016年)で開催されるオリンピックも目指すことになりそうだ。

 中村同様応援よろしくです。

* カデとはフランス語で「末っ子」という意味。シニア、ジュニアのより年齢が下の意味らしい。

 さて本題に入ろう。

 自然の力は計り知れない、人の優しさも計り知れない。私は今回の大震災により自然への恐怖、そして、人の温かさも知った。

 私は他人に迷惑も掛けず、逞しく「一人で生きている」つもりでいた。

 でも違った。自然によって「生かされている」ことにあらためて気付かされた。また、自分の身近な人、他人の優しさ、気遣いによって「生かされている」ことにも気が付いた。

 良い意味でも悪い意味でも「ひとりで生きているのではない」ことを知らされた。どんなに偉そうなことを言ってもやっても一人で実現させたことではないことも知った。

 そして、「素直に感謝!」の心を知った。

 今回の震災は確かに「不幸」をいっぱい運んできた。でも、ほんの少しだけこれからの日本が進むべき道標も運んできたと私は思う。

 ある都知事がこの震災について「天罰」と思わず言ってしまった(のちに撤回し謝罪した)。勿論、私も間違った発言と思ってる。

 しかし、庇うつもりもないが、多分最近の日本全体の「閉塞感」や「やる気の無さ的」な雰囲気を打破させたいという想いが「天罰」という言葉になったようにも感じた。犠牲になった人たちに対しての言葉ではなかったはずだ。だから「今こそ頑張る時!」と言いたかったのだろうと私は信じている。

 確かに現状を考えたら、いつまでもクヨクヨしていられない。今日本人がやるべきこと、それは

 「生かされている」という気持ちを忘れず、「前進」することだ!

 

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2011年4月 8日 (金)

渋渋

 昨夜も地震、しかも私の実家仙台市宮城野区が震度6強。父親の実家栗原市も6強。

 余震なのか、別物なのか皆が不安がっている。昨夜の被害状況は見えていないが、とりあえず両親の無事は確認できた。ただ、今も停電のようだ。

 さて、久々に本校の自慢をさせていただく。

 10期生の大学合格実績をお伝えしたい。

 卒業生約200名(+浪人)、東大15名、早大108名、慶應義塾73名、医学部医学科42名、海外ではハーバード大、スタンフォード大、ボストン大、コロンビア大等に合格者を出し、他大学もいっぱいの実績。自慢できる結果と思う。私個人の話なら自慢しない。ただ、これは生徒たち一人ひとりの頑張りの証しなので大いに自慢したいと思う。

 私たち渋渋の教師は、いかに勉強を教えるか、とは考えていない。いかに生徒を「その気」にさせるかだけを考えている。そして、もう一つは具体的な「その気」にさせる環境作りに全力を尽くしている。そして生徒たちは結構この作戦に引っかかってくれる。いや、引っかかった振りをしてくれてるのかも知れない。

 本当にチーム渋渋は明るい。挨拶がいい。だから結果もいいのかも。

 渋渋の実績の元はここにあると思ってる。

 明日から、柔道の試合で静岡に行ってきます。期待の朝比奈沙羅ちゃん登場。

 今後も明るい話題をいっぱい提供していきたいですね。

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2011年4月 5日 (火)

全日本選抜柔道体重別選手権大会

 大地震の件に関しての多くの応援コメント有難うございます。私個人としては継続的な応援・支援を考えていきたいと思ってます。しっかり前向きに生きていくしかないですね。

 4月2日~3日と福岡国際センターにおいて、全日本選抜柔道体重別選手権大会が行われた。大震災の影響で色々なスポーツの大会が中止となる中、この大会は実施された。私は悩むことなく予定通り、観戦してきた。

 今回は中村美里に加え、私の教え子の70キロ級の飯田有香(山梨学院大)、63キロ級の渡辺華奈(東海大)の3名の出場ということもあり、特に楽しみにしていた。1日の夜福岡入りをした。

 結果、52キロ級中村美里は優勝し、世界選手権の代表権も獲得した。飯田は昨年準優勝だっただけに期待もしていたが、その同じ相手と準決勝と対戦し敗れ3位。渡辺はベスト8。日本のトップの試合に出場する教え子が年々増えていくことが本当に嬉しい。

 来年も教え子たちの活躍が楽しみだ。

 実は、私はボクシングにもハマってる。昨日(4日)は、ちょっとしたキッカケで知り合いとなった風神ライカ選手の試合もあり、KO勝ちだった。世界戦に向けての大事な試合をKO勝ちしたことは大きいと思う。柔道に続き、嬉しさ連続だった。

 彼女も30歳半ば、病気あがりではあったが気合いが違ってた。後が無いという想いが強いだろうが冷静な戦いぶりだった。

 ライカの応援もよろしく!

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