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2011年5月

2011年5月31日 (火)

共学校の女の子

 半年ぐらい前の話だが、共学ではなく男女別学の教育がベストだ。と宣言されている方がいて、その方の講演にも誘われたが行かなかった。本人に確認することが一番良いと思うが、共学を否定している雰囲気がちょっと私に伝わっていたので、正直行きたくなかった(と言ってもそれを語った人のことも忘れている私だが)。

 共学の良さを語る者がいて、別学の魅力を語る者がいる。それでいい。

 自分の意見を語るのに他を否定する考え方が、多くの支持を得られない理由と思われる。私も別学を否定しているのではない。

 私は共学派であるが男子校出身者でもある。色々な考え方をする方がいて、世の中丁度良い。しかし、他の者の考え方(スタイル)に対して否定から入るのはマズイと思っただけである。

 グチはこれくらいにして、本題の共学校の中の女子の話。

 まずは、別学の良さは「伝統」にあると思う。長い歴史の中で、魅力的な話や著名人が輩出された学校のイメージは別学が強い。

 それに対して共学の場合、歴史や実績が少ないのである。もしかして別学で成し得た事実を共学では無理と判断してる方が多いだけのような気もする。それは無理ではなく、ただ単に共学校がなかった時代での歴史に過ぎないと私は思ってる。

 そんな私の想いを踏まえながら、続きを読んでほしい。

 共学校は女子に人気がある。そして、確かに活発な印象の女子が多い。男女一緒の場面でも上手に男の子と話し合いをしていたり、いい意味での気遣いを身につけていく。男子は正直なところ、ある意味1年間ぐらい女子に育てられている期間がある。それが女子との成長の早さの違いではあるが、まったく問題にはならないと私は確信している。

 渋渋の女子を見て感じることは、大らかさ・明るさ・機敏さがあり、男子に感じる雰囲気と共通している。

 また、こんな場面からも共学校ならではの男女平等を感じてしまう。それは、例えば今年度の生徒会長が男子だとすると次期会長は女子になるとか(必ずとは言わないが)、良い形でバランスが取れている。掃除等で男女がすべて同じことをすることが平等ではなく、その特性に合った仕事の割り振りしてたり、まるで彼らが社会人になった時ための準備をしているかのようにも見える。

 世の中、男と女しかいない。

 早い時期にお互いの良さ・足りなさに気づいておくことが大切だし、今後の人生に役に立つことだと思う。

 それらを身に付けているのが、「共学校の女の子」である。

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2011年5月26日 (木)

腹八分目

 24~25日の2日間浜松出張。新幹線移動は楽なはずなのに、何故か疲れる。私はクルマが楽。普段、山手線に乗るのも辛く感じる、しかも混んでないのに。年のせいではなく昔から。

 24日は私の55歳の誕生日(何も求めてませんので誤解のないように)。私が子どもの頃は55歳定年が当たり前。第二の人生を考える年齢だったかと思うと複雑な想いを感じてしまう。決して私が若いと言いたいのではない(少しだけ思ってるが)。

 今の時代、これから色々な意味で、踏ん張って行くことが自分の周りに対しての恩返し。そう思っている。リキまず努力したい。

 今日は私のダイエット報告、一時は順調に体重を減らしたが今は悪く言うと停滞期だが、私の中では予定通りの安定期である。リバウンドを避けるための期間と思ってる。

 余談だが私の知り合いで趣味がダイエット、特技がリバウンドという方がいて、それを繰り返す楽しみはそれなりにあるらしい。

 リバウンドを避ける方法として「腹八分目」をお勧めする。この状態をキープできれば、体重が増えることはない。

 6月からは、また少しずつ落として行きたいので、「腹七分目~六分目」を心掛けたい。最終的(今年中)にはあと6キロ減量して73キロにしたい。それで一生キープでいいと思ってる。ついでだが、血圧も安定いる。残りは年に一度の人間ドックと美容整形ぐらいだ。

 でも、あまりイイ男になってしまうと別な職業まで考えそうなので、一応この辺で止めておく。

 最後にある程度(私ぐらい)の年齢を迎えたら、一気の減量は避けるべき。

 無理するとただ単に老けたように見られるだけ。元気さ・明るさを保ちつつのダイエットを。

 そして、腹七分目でイライラする方はやらないこと。

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2011年5月21日 (土)

心の教育

 本校は「躾教育」とは言わず、「心の教育」という言い方をする。

 特に「心の教育」が必要な時期は、幼児期から小学生、中学生前半ぐらいまでと思う。

 「心の教育」初歩編を少しだけ。

 特に小学校高学年から中学校前半は、親の気持ちとして子どもに対して「何回注意したら分かるのかしら?」という想いをしていないだろうか?

 親が子どもに対して、同じ注意や話を何回も繰り返し行ってきても、子どもの反応は変わらないという状況は、いつの時代も同じであると思う。

 では注意しない方が良いのか?

 それは違う。

 子どもが反応していない状況であっても根負けせず、淡々と繰り返し注意・話をすることが本当に大切なのである。

 ただし、怒鳴ったり、感情を露わにすることは避けたい。あくまで「繰り返すことが効果絶大となるのである。」

 部屋掃除はもちろん、身の回りの片付けができなかった子どもが突然できようになったり、食事の後片付けの手伝いすらやったことない女の子が急にやり出したりする。

 当然、キッカケはある。

 その作戦とは、これだ。

 ずーっと、繰り返し言ってきたことを突然言わないようにする。

 お母さまが体調を崩してしまう。

 つまり、過干渉レベルから無干渉レベルへのダウンが効果的。

 ちょっと試してみて!  諦めずに。

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2011年5月17日 (火)

大福は甘い方がいい!

 職場、入試対策室での会話。

 何故か大福の話題となっていた(いつもこんな話をしているのではない、念のため)。

 ある教師が「この店の大福は、あまり甘くないからいい。」とのこと。「その甘くない大福の何がいいのか分からない、大福のアンコは思いっきり甘い方がいい。」と私が反論、決してパワハラではないが、私に反論はしづらかったようだ。だから、会話はそれで終了。

 その時、思いついたのが「周りからの期待・評価に応えること、イメージ通りで当然であることの重要性と役割」である。

 難しい話ではない。

 つまり、「甘いものが食べたくて大福を食べたら、甘くない」では、大福の役割を果たしてないことになるし、大福屋さん側の完全なる裏切り行為である。甘くない大福が好きな人は本来の大福は好きではないと私は思う。

 私はコーラが大好き世代である。太ってても、甘さが良くないと言われてもコーラを飲み続けていた。世の中にダイエットコーラが流行りだしても、一度試飲し、これはコーラでないと判断し、以降飲んだことはない。だから、コーラを飲むのは太ることを覚悟で飲めばいいのである。

 最近は、本当に体重を落とさざるを得ない状況となっため、コーラは我慢している。

 実は同僚でもコーラ大好き人間がいて、その彼の場合はダイエットのためランニングをして汗を流した後、ダイエットコーラを飲んでいる。私は簡単にダイエットコーラに走った彼が信じられない。「飲むなら普通のコーラ、ダイエットしているヤツがダイエットコーラとは、理由はないが許せない。」  ちょっとヤッカミかも。

 話がわき道に逸れてしまったように感じているかも知れないが、逸れてない。

 例えば、私(佐藤)に対して、私の周りの人たちからの評価・期待感みたいなものがあったとする。そのレベルを私自身が自覚し、その評価・期待感を自分の周りの人のために、いつでも満足させられる状況にあることがいかに大事か、再確認すべきところと思う。

 やっぱり、甘い大福、酸っぱいレモン、辛い明太子がいいと思う。それを変えたら、大福とは言わないし、レモンでもないし、明太子は売れない。

 ちょっと、クダラナイお話しでしたが、大事な感覚でもあると思う。

 皆さんの周りでも当てはまる話がいっぱいあるはず。

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2011年5月13日 (金)

携帯電話の威力

 

 携帯電話って凄い!

 線が繋がってないのに話ができて、切手も貼ってないのにメールを届け、写真まで撮れてその画像を誰にでも送信できる。まだまだ機能はあるが・・・とにかく凄い!

 あらためて言うことでもないかも知れないが、この「凄さ」を見過ごさないでほしい。「凄さ」を忘れずに利用してほしい。本当に便利な世の中になったもんだ。これは当たり前のことではないと思う。人間の継続した努力を忘れないことが大事。

 渋渋は携帯電話の学校持ち込みがOK。勿論、ルールはある。授業中に携帯の着信音が鳴れば、帰りまで学校預かりとなるがその程度である。この状況を恥じるとか、自慢しようと思っているのではない。

 要は、携帯電話・メール・インターネットの使用について学校側が自己責任の重さをしっかり生徒に伝えなければならない時代に入った、ということ。大人も同様であるが・・・

 便利なものを便利なものとして使える心が大切なのである。決して使いこなせる技術だけの問題ではないと思う。因みに私の場合、使える技術は電話とメールとカメラぐらいだが。

 大震災の報道ばかりで、センター試験での携帯を使っての不正受験の件は忘れ去られそうだが、この実行犯の技術レベルは考えられないぐらい高いものだった。不謹慎だが、それだけで京大合格レベルである。

 彼は心での使用法を知っていなかった。

 しかし、救いは確かにとんでもない事件だったものの、ある意味許せる内容だったかも知れない。それは振り込め詐欺的なものだったり、殺人事件へ発展させるものではなかったことだ。

 「京大に入りたかっただけなのだ。」、自力で十分合格できたのになあと私は思ってしまう。

 先日、スカイプとやらの存在と便利さを知り、またまたビックリ!

 テレビ電話がほぼ無料で使用できるということだ。しかも海外相手にも同じ。

 あまり、こんな事ばかり書いていると私がアナログ人の最上級あることがバレてしまうのでこの辺で止めておくが、実に素晴らしい日進月歩である。

 実は今日の内容は、いくら年齢を重ねてきたからと言っても、今の時代を先頭切って生きて行きたいと思うのであれば、「パソコン関係・関連について、もっと勉強しようぜ!」という私自身への励ましのメッセージでした。

 同感の方がいれば、嬉しい!

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2011年5月11日 (水)

みんな地元が好き

今、被災地では地元の会社から内定をもらいながら、この大震災のために内定取り消しとなるという話は、会社側も内定者側も半ば当然のこととして捉えているらしい。

 今日の話はここから。

 ニュースからの情報だが、被災地のこの状況を知り被災地近隣の県や関東地方の会社が就職相談会をその被災地で開催した。予想していた人数の1.5倍の就職希望者が集まった、というものだった。

 だが、地元の企業で働きたいという気持ちを持っている人たちが多く、内定・採用となることは難しいようだ。実際に参加した就職希望者たちへのインタビューを聞いてみると、地元の企業に残ることで復興・再建に大きく貢献できると考えるからだそうだ。

 人それぞれの考え方なので文句はないが、私だったらまず一旦地元を離れ、外で稼ぎ地元に持ち帰ることを考えてしまう。

 そんなことを言うと、では誰が地元の瓦礫を片付けるの?という想いが彼らを地元に留めてしまうみたいだ。本当に優しいのである。ただ、私は、5年後、10年後に向かって新しい歩みを踏み出してほしいと思ってしまうのだ。これからの時代に生きて行く人材である。外で情報を得、それを地元の人たちに伝えてほしい気がする。また、その方が長い目で見たときに短い時間で復興していくようにも思う。

 最近、日本人は海外へ出たがらないという話もよく聞く。

 私も日本は素晴らしいと思うし、日本人も好きである。勿論、地元(今はどこが地元だか分からないが)も好きである。

 でも色々な意味で、みんながみんな地元が好き、日本が好きだけでは、地元も日本も停滞してしまう、停滞するということは、最終的には落ち込むことである。

 復興するため、発展するためには、外へ出て冒険・探検をしてきてほしい。

 そして、自分自身が大きく成長して地元に戻る、という考え方をしてほしいと思った。

 また、若者が海外へ出て勉強し、日本に足りない部分を見つけてきてほしいとも思う。日本の本当の素晴らしさも見つけられるはず。

 そして、日本に戻り日本を救ってほしい。

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2011年5月 7日 (土)

近未来の学校

 日本の将来は「学校教育」にかかっている。

 不況、人災、犯罪等々の中、我々教師(勿論教師だけではないが)は子どもたちに対して、明るく、安心して暮らせる日本の未来を創造していく義務があると思う。

 その一番目に重要となることは、日本という国・そして国民が色々な面で落ち着いていくことである。

 落ち着くための策が「学校教育の工夫」と思っている。

 学校が子どもたちにとって、本当に楽しい場所となっているか?将来の自分の姿を想像できる場所となっているか?「生きることへの意欲」を得られる場所となっているか?

 また、私は単純に「日本が好きか?」「日本を大切にしたいと思うか?」等の気持ちが育まれていく場所が学校である、と思ってる。

 そのためには、現状の学校教育を「変える」のではなく、「工夫」が必要と強く感じてしまう。

 例えば、意欲的な教師が必要であれば、学校側で「学校」としての魅力より「職場」としての魅力が優先されて良いと思う。「魅力」ある職場に勤めた人間はそれを維持するために努力を惜しまない。

 結果、その仕事への想いが生徒へ還元・反映される。「良い職場」になれば、「良い学校」へと変化していく。

 つまり「風が吹けば、桶屋が儲かる」のことわざ通りの様な気がする。工夫(思考)を進めていくと、想いとはかけ離れたことを実践していくことが必要であると気付いたりする。

 いま、学校がその時期に来ていることを痛切に感じている。

 企業秘密(佐藤秘密)だが、3~4考えを披露する。

 ・土曜日は先生も生徒も服装を自由とする(カジュアルサタデー)。

 ・食堂、購買部を使いやすく、オシャレに便利にする。

 ・トイレをとにかく清潔、綺麗にする。

 ・日本を愛せる人間に成長するために外国人との接点をとにかく増やす。

 まだまだ、いっぱいあるが「夢の学校創り」のためにあとは内緒。

 現状の学校教育を否定するものではない。

 ただ、教師も生徒もいつも楽しく過ごせる場所が「学校」。

 それを目指すことが「新しい日本」へのスタートとなるのである。

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2011年5月 2日 (月)

今後のブログについて

 ブログ村のランキングを意識して、ちょっとだけ努力してみようと思ってる。

 それは、今後皆さまからのコメントを頂いた時、できる限り私もコメント欄に回答なり、意見なりを書き込んでみたいと考えている。

 何か皆さまのお役に立てれば嬉しい。と言っても正解のないアドバイスなので、あまり期待しないようによろしく!

 コメントに対して、いつもすぐに電話でお答えしたいぐらいに感動してしまうので、そのモヤモヤが少し解消できるかな、とも思ってる。

 公開しないでのメール受付もありますので、それはそれとして遠慮なくご相談ください。

 

 やはり、勝負的なものにはなぜか一度頂点を目指してしまう。病気かなあ?

 でも応援お願いします。

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