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2011年6月

2011年6月29日 (水)

肉離れ

 私の話。最近、「足がつる」。特にひらめ筋(フクロハギ)の部分。

 柔道は週に2回の授業、高2生相手に少しは動く。男子ではあるが部活動のような動きをするわけではない。すると翌日あたりから「足がつる」。たまに大臀筋までつる。そして、どこがつってるか分からないが、間違いなくどこかつってしまう。そして、寝てる時に「つる」のは笑えない。

 55歳になった以上、仕方がないのかも知れない。しかし、何とか改善していきたいと思ってる。

 体育教師として不謹慎であるが、運動不足が一因。そして、「肉離れ」のような筋肉の衰えと年齢から来る重力との戦い。

 通常、「肉離れ」とは骨に付いている筋肉が何らかのチカラが加わることにより、骨と筋肉の間に隙間ができてしまい、強烈な痛みも伴う。でも、そんな状況での肉離れなら、自慢もできるのだが。

 先日、あまりにも「足がつる」場面が多いので、私自身で膝から下の部分の筋肉を確認してみた。すると、見事に全部の筋肉が肉離れ状態になっているのだ。本当に気づいていなかった。明らかに細くなっているのである。今は全身肉離れ状態だが、このままにしておくと、筋肉退化状態になるのだろう。

 多分、そのような状態になっていることを無視して体を動かしてしまったので、少なくなった筋肉が悲鳴をあげてしまうのだろう。と自分なりに結論づけた。

 ということは、徐々に肉離れ状態の筋肉を元に戻しながら、いや元に近づけ「足のつり」から解放されたいと思ってる。

 時間をかけたウォーキングが一番効果的と考えている。

 そして、今後顔面の筋肉衰えにも気を遣っていきたい。重力との勝負である。

 これも突き詰めると肉離れのように思える。

 

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2011年6月27日 (月)

情報は確実なものを

 受験に限ることではないが、噂やデマには注意が必要。

 今回のような大地震から津波発生までの情報について瞬時の判断が生死を分ける結果となるが、受験情報やその他の場合は落ち着いて考えることが大切と思う。噂やデマに惑わされない強い気持ちを持ってほしい。

 受験に関しては、聞こえてくる情報に対して「そんなことってあるの?」と思ったら、その学校に直接電話やメールで質問をしてみることが一番。デマの片棒を担ぐことのないようにしたいものだ。

 昔だったら不幸の手紙、今だったらチェーンメール等にも巻き込まれることのない強い意志を持ってほしい。

 渋渋も例外なく、毎年色々な間違った情報が飛び交ってしまう。私が間違った情報が流れていることに気づいた場合は何らかの方法で否定し、正しい情報を流し続ける。

 本当にビックリする状況に至っている時がある。

 具体的に間違っていた情報について書こうかと思ったが、書いてしまうと私が噂の発信地となってしまう可能性があるので止めておく。

 とにかく、普通に考えて「おかしい」と思う情報は、ほぼ間違い無く「間違い」である。

 渋渋の不思議な噂が聞こえた時は、佐藤までご連絡願いたい。

 即、対応したい。

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2011年6月22日 (水)

ハーフ(ダブル)の魅力

 最近は「ハーフ」とは言わず、「ダブル」と言うらしい。しかし、今回の話はこれまで通りの「ハーフ」で進めたい。

 娘が中学生(本格的にダンスを始めた)頃、突然「なんでパパは、アメリカ人じゃないの?」と聞かれたことがあった。勿論、洒落で言ってたようだが。

 それは、自分が「ハーフ」であれば良かったという想いからのようだ。ということはママは日本人つまり今のママでOKということ。パパだけチェンジしたかったのか?いじける話ではないが、ちょっと悔しかったので娘に一言、「パパがアメリカ人だったら、君は君でなくなるよ。」と満面の笑みで応えた。すると、娘は「そう言うことじゃないだよなあ。」の一言、ムキになった私が恥ずかしかった。決してパパ否定ではなかったと勝手に思ってる。

 要は顔立ち・スタイル・言葉(英語)への憧れだったように記憶している。

 私は見事に外人離れした体型・風貌ゆえ、娘も諦めともつかない溜息状態の言葉だったのだろう。

 とにかく「ハーフ」はカッコイイのだ。

 本筋に入るが、「ハーフ」のチカラ・魅力には特別なものを感じる。娘が憧れる意味をあらためて気づかされた。

 まずは実に優秀であると感じる場面が多い。それは生まれたときから二つの言葉を毎日浴びせられ、その言葉の両方を理解するために自然に努力してしまうのだろう。私はこの部分が、「ハーフ」の方々が優秀になる原点・源と考えている。普通の人の倍の努力を普通にしているのである。そうなるとやっぱり「ダブル」の言い方が正解かも。

 先日の相談会で「ハーフ」であることが、ハンディぐらいに思ってる日本人のお母さまと面談していて今回の内容を書こうと思った。

 単純にお世辞とか激励ではなく、本心から「ハーフ」の方々はチカラ・魅力を持っていると思う。それを引き出すのはご両親であり、教師である。

 この「ハーフ」であることをどう活かすのか、しっかり一緒に考えてあげることが大事である。パパの国とママの国との架け橋的な仕事なんかも素敵だと思う。

  オマケの話

 それぞれの人がとらえ方色々でいいと思うが、私は「ニューハーフ」と呼ばれる人たちのレベルの高さにも驚かされている。彼女たちも人として魅力的である。頭が良いというイメージが強い。最近、テレビでもそんな雰囲気の人たちが目立っている。少しずつであるが世の中も彼女たちのことを真剣に認知しようとしているように思う。

 私は教師であんな雰囲気の彼女たちがいたら、楽しい学校になるだろうと思うし、生徒の中に同じ悩みを持つ子がいたら救われる気がする。

 色々な部分でまだまだ時間がかかることかも知れないが、彼女たちについて私なりに考えている事がある(余計なお世話であるが)。でも中身はまだ発表しない。

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2011年6月16日 (木)

評価は他人がするもの

 誰しも自分の努力・頑張り・実績への評価は高い。表面上は自信が無いふりしてても実は自信満々。

 多分、私もそうだと思う。ただ私の場合、自信の無い分野はすぐ素直にダメと認めてしまうところが情けない。それでも自信のある分野では自分が一番と思ってるし、勝手に高い評価をしている。

 しかし、世の中そんなに甘くない。

 皆さんも経験があると思うが、他人が自分に対しての評価は実に厳しい。お互いに自分の方が上と思いながら接しているのかと思うと、ムカつきながらもちょっと面白い。

 だから、相手からあまりにも褒められ過ぎてると感じたら、その相手を疑ってかかって良い。

 人は誰に対しても簡単に褒めないし、けなさない。と私は思ってる。

 

 皆さんはこんな場面に遭遇していないだろうか?

 ある人と会話をしていると、その会話している2人の共通の知人の話になったとする。その時、相手が話すその共通の知人の評価が自分が思ってる評価と著しく異なっていることはないだろうか?異なって当たり前であっても何か怖さを感じたりしなかっただろうか?

 自分を他人から高く評価してもらうためのポイントは、客観的な資料をたくさん用意することである。人間生きていれば、自分を強くアピールすることが必要な場面に出くわすことがあると思う。

 その時には、あらためて「他人の評価は本当に厳しいんだ」ということを意識していてほしい。

 本気でそう思った時、「謙虚さ」が生まれるのだ(今日の話の本当の目的)。

 そして、それを打ち破って初めて高い評価が得られるようになっていくのだから。

 私が自慢話をする時は、これから話す内容は「自慢話」ですとはっきり言うようにしている。謙虚でなさそうで、結果的には謙虚だと思われるようだ。

 

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2011年6月13日 (月)

2位でダメでした!

 昨日は、インターハイ東京都予選個人戦だった。先月行われた団体戦において決勝まで進出したが宿敵の淑徳に惜敗していた。

 それで、選手たちはその悔しさを胸に戦った。しかしながら、個人戦の結果も2位が2人、3位が1人という少し残念な成績。それでも、それぞれの生徒が前進の2位であり、3位でもあった。

 前々回のブログ「負けの効果」でも書いたが、現況を5ステージで表現するとすれば、うちの選手は現在Cステージにいる。まずは全員がBステージ(インターハイ)を目指し、日々努力している。

 インターハイへは、地区予選1位の者しか出場できない。

 だから、「2位でダメでした!」なのだ。

 余談だが、ちょっと前に「2位でダメなんですか?」とおっしゃった大臣さんがいたことを思い出す。決して大臣を批判しているのではない(どちらかというと嫌いじゃないので)。

 要するに今回は「本当に2位ではダメ」だったのだ。悔しい!

 ただ、生徒たちの成長を認めてあげたいし、自信を持ってほしい。次の大会で活躍してほしいと思ってる。

 私は2位がすべてダメと言いたいのではない。2位で十分な時も、十分な場合もあると思う。

 ただ、目指す心は1位でありたいし、1位でねばならぬ時も、場合もあることを知っててほしい。

 その想いが「個々の強さ」を作りあげるのだから!

 もう一言、次回1位を獲れば、今回の2位もカッコ良くなる!

 

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2011年6月10日 (金)

「~しなさい」の効果

 幼児期「早くしなさーい!」、10~15歳「勉強しなさーい!」、高校生「勝手にしなさーい!」と言ってませんか?

 皆さまの年齢は様々なので、言い始めの方、途中の方、失敗された方、もう一度子育てできたら違うのにと思ってる方、きっと色々ですね。

 この「なになに、しなさーい!」という言い方はやめた方が良い。お母さまにしてみれば、冷静に落ち着いた雰囲気が保たれ、心地よい響きと思ってる方が多いかも知れない。

 しかし、子どもたちにとっては悪魔の囁きに聞こえてることはご存知?

 最後の「勝手にしなさーい!」は、所謂母親の敗北宣言に該当する。お子さまへの愛情表現であれば、違う言い方にしてほしい。

 余計なお世話だが、幼児期「ちゃんとしっかりやろうね!」、10~15歳「勉強って大事なんだよね!」、高校生「自分のためにやれることをやってね!」

 結局、親が子どもに伝えたいことは同じ、ならば後の方がいいと思う。

 私が子どもなら、ちょっと頑張ろうという気になる。

 

 

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2011年6月 8日 (水)

負けることの必要性

 先週末は高校柔道の関東大会のため前橋にいた。結果はあえて表現すると惨敗。皆さまには私らしくない表現と思われるかも知れない。

 でもそんなことはない、実に私らしい言い方と勝手に思ってる。それは「前向き惨敗」だから。

 久々に選手たちと話ができた。いつものことだが、私自身ちょっと忙し過ぎかも。反省!

 渋渋柔道部は、選手自身の「頑張ろう精神」に期待する部分が多い。だから、自分自身が本当に「勝ちたい」と思わなければ、強くはならない。

 「負けることの必要性」はここにある。自分の意志ではなく、やらされている感覚が強いうちは真の強さは生まれない。

 まず、柔道が好きなこと、負けて悔しいと思えること、自分には柔道だけと思わないこと(ここが渋渋らしさ)、自分の周りに応援する仲間・大人の存在が基本的には必要なところ。

 柔道が強くなるための努力の過程の中で、「負ける」ことにより、練習の量の必要性・工夫の必要性を痛感する。そして、本気で努力するようになる。これができると間違いなく、ワンステージアップする。それが「惨敗」ならば、もっと期待できるのだ。

 当然ステージ毎に壁はある。「負け」に対しての悔しさが大きければ大きい程、ステップアップも大きい。

 今回の試合で負けた直後、選手一人ひとりが、私が考えをすでに感じていたことに実は驚いた。自分の足りない部分、今後の方向性を考えていたのである。

 そうすると余計な話は不要であり、思わずいつも通り「次に向かおう!」と言ってしまった。でも次回はかならず強くなってると信じている。

 勿論、柔道だけのことを言ってるのではない。どんなことでも、どんな場面でも、しかも大人だって子どもだって同じだと思う。「負け」のパワーを信じよう。

 ブログの更新が遅れると順位も下降する。

 私も負けて努力!

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