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2011年6月22日 (水)

ハーフ(ダブル)の魅力

 最近は「ハーフ」とは言わず、「ダブル」と言うらしい。しかし、今回の話はこれまで通りの「ハーフ」で進めたい。

 娘が中学生(本格的にダンスを始めた)頃、突然「なんでパパは、アメリカ人じゃないの?」と聞かれたことがあった。勿論、洒落で言ってたようだが。

 それは、自分が「ハーフ」であれば良かったという想いからのようだ。ということはママは日本人つまり今のママでOKということ。パパだけチェンジしたかったのか?いじける話ではないが、ちょっと悔しかったので娘に一言、「パパがアメリカ人だったら、君は君でなくなるよ。」と満面の笑みで応えた。すると、娘は「そう言うことじゃないだよなあ。」の一言、ムキになった私が恥ずかしかった。決してパパ否定ではなかったと勝手に思ってる。

 要は顔立ち・スタイル・言葉(英語)への憧れだったように記憶している。

 私は見事に外人離れした体型・風貌ゆえ、娘も諦めともつかない溜息状態の言葉だったのだろう。

 とにかく「ハーフ」はカッコイイのだ。

 本筋に入るが、「ハーフ」のチカラ・魅力には特別なものを感じる。娘が憧れる意味をあらためて気づかされた。

 まずは実に優秀であると感じる場面が多い。それは生まれたときから二つの言葉を毎日浴びせられ、その言葉の両方を理解するために自然に努力してしまうのだろう。私はこの部分が、「ハーフ」の方々が優秀になる原点・源と考えている。普通の人の倍の努力を普通にしているのである。そうなるとやっぱり「ダブル」の言い方が正解かも。

 先日の相談会で「ハーフ」であることが、ハンディぐらいに思ってる日本人のお母さまと面談していて今回の内容を書こうと思った。

 単純にお世辞とか激励ではなく、本心から「ハーフ」の方々はチカラ・魅力を持っていると思う。それを引き出すのはご両親であり、教師である。

 この「ハーフ」であることをどう活かすのか、しっかり一緒に考えてあげることが大事である。パパの国とママの国との架け橋的な仕事なんかも素敵だと思う。

  オマケの話

 それぞれの人がとらえ方色々でいいと思うが、私は「ニューハーフ」と呼ばれる人たちのレベルの高さにも驚かされている。彼女たちも人として魅力的である。頭が良いというイメージが強い。最近、テレビでもそんな雰囲気の人たちが目立っている。少しずつであるが世の中も彼女たちのことを真剣に認知しようとしているように思う。

 私は教師であんな雰囲気の彼女たちがいたら、楽しい学校になるだろうと思うし、生徒の中に同じ悩みを持つ子がいたら救われる気がする。

 色々な部分でまだまだ時間がかかることかも知れないが、彼女たちについて私なりに考えている事がある(余計なお世話であるが)。でも中身はまだ発表しない。

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