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2011年8月

2011年8月26日 (金)

美里やった!

 中村美里パリでの世界選手権、世界チャンピョンに見事に返り咲いた。決勝の相手はまたも西田選手。彼女の努力にも頭が下がる。多分、美里以外には最近負けてない。西田選手には昨年の世界選手権東京大会において、美里の方が僅差で負けている。その負けは美里にとっても久々の負けであった。お互いに素晴らしいライバル。

 オリンピックに二人出られるのであれば問題ないのだが、お互いに成長できていないかも。やっぱり、オリンピック出場枠は一人がいいのか?

 まだロンドン行は決まっていない。ただ、今回の勝利は大変有意義なものであったことは間違いない。私としては当然美里のロンドンオリンピックへの出場を祈るだけである。西田選手とは、オリンピックの代表決定まであと2回ぐらいの対戦があるかも知れない。

 例え、どちらがオリンピックに出場したとしてもメダル獲得の可能性は高い。しかもとても光るヤツ!

 ドキドキするが楽しみに美里が選ばれる時を待ちたいと思ってる。オリンピック出場決定の時は皆さんも応援よろしく!

 夏休み中の柔道結果報告。

 全国中学柔道大会団体戦(和歌山) 3位。頑張ったけど惜敗、本当に残念な気持ち。正直なところ3位での嬉しさが出てこなかった。

 個人戦朝比奈沙羅 3回戦敗れる。ベスト16。負け惜しみじゃなく、完全にジャッジミス。審判員の反省を促したい。感情論の抗議はあってはならない。.しかし、ミスは訂正すべき。それが教育的と私は思う。審判委員長へビデオを見せての抗議は行ってきた。覆るものではないが、あまりにも悔しい。自分で言うのも変だが、私は勝ち負けには冷静な方だと思ってる。でも今回は審判のレベルが低すぎる内容と思った。

 沙羅には、世界カデチャンピョンとしての自信は持ち続けてほしいと思ってる。気持ちを切り替えることが大切(私もかな?)。

 インターハイ(秋田)個人戦 荻野香澄(2年)出場 ベスト8。来年へ結びつく戦いであった。

 優勝するにはテクニック・スタミナ・精神力・運をパワーアップさせること。香澄には来年日本一を狙ってほしい。

 他の選手たちもこの夏に得た「何か」を活かし、今後に向けて努力してほしい。

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2011年8月21日 (日)

テツの死

 8月4日19時20分、愛犬テツ(ビーグル犬)が亡くなった。年齢は13歳4か月。病名は「悪性リンパ腫」であった。 これ程までにショック受けるとは思ってもみなかった。とても悲しい。

 娘の10歳の誕生祝いにテツを飼いだした。テツは間違いなく家族の一員だった。その娘は3月に大学を卒業し、4月からアメリカニューヨークに留学している。テツの死について、もう少し早くブログに記したかったのだが、娘の顔を見ながら伝えた後にすると決めていた。

 今回のアメリカ旅行は娘に会うためだけのものだったのだが、「テツの死」をどう伝えるかで正直かなり悩んだ。でも、しっかり伝えることの重要性も感じていた。

 娘と再会二日目にニューヨークセントラルパークを散歩している時にベンチに座って話した。娘はショックはあったもののテツの年齢や調子が悪いことを知っていたこともあり、意外に冷静に受け止めてくれた。自分が留学を決めた段階で、色々なことを覚悟していたことを感じさせてくれた。親が思うより、はるかに大人へと成長していたんだなと少し嬉しく思えた。

 ニューヨークで娘がお世話になっている方々と食事をご一緒した。その時にテツの話となり、その方がペットを亡くした時の悲しさを語ってくれた。

 亡くなった直後、暫くはペットを飼うことは止めようと考える人が多いらしい。だが1年後に7~8割の方がまた飼いだしているとのこと。あまりにも悲しく、その気持ちを癒すには、また同じ種類のペットに頼るしかなくなるようだ。

 なので彼の具体的アドバイスをご紹介、「オスのビーグル犬を買って、テツと名前をつける。」

 私には納得できない部分があるが、彼の友人には3匹目のテツを飼っている人がいるらしい。

 

 帰国し、何となくホッとしている。と言いながら今日は東京国際フォーラムで相談会。

 明日からは全国中学柔道大会のため和歌山へ。

 日本一目指し、素晴らしい戦いをしてきたい。

 

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2011年8月15日 (月)

セカンドキャリア

 今、スポーツ選手のセカンドキャリアについて、悩んでる選手たちが多いことを皆さんは知っているだろうか?

 特にプロとして頑張ってきていながら、その後の人生で躓いてしまうことが意外に多いのである。活躍し、世の中が注目している時は問題ない。ただその時にもてはやされ過ぎてしまうと、後に本人自身が大変辛い想いをしてしまうことが少なくないのである。プロである以上、活躍してれば収入も多いし、支出も多いだろう。しかし、徐々に活躍できなくなり収入が減っても、支出は変わらずという状況が意外に多いようだ。華やかな時間を追い求めてしまうのだろう。そうなると生活も当然、苦しくなる。また独身でいたりすると余程本人がしっかりしていないと、このパターンにはまっていく。

 今、トッププロ(野球・サッカー・ゴルフ)は稼ぎ出したお金の管理はお金のプロに任せることが常識化しているようだ。しかも失礼ながら人間的に問題が無ければ、またその世界(解説者等)で生きていけるのである。本人にとってはそれは理想形と思うが、そうできるのは一握りの人間だけなのである。

 大変なのは、その次のレベルのプロ選手・メジャーではないプロスポーツ選手・完全にプロとは言えない実業団チームの選手たちであり、しかも彼らはセカンドキャリアについての意識が低い場合が多いように感じる。

 今なぜこのような話題を出したかというと、私の母校の順天堂大学体育学部のOB会でこのようなタイプの卒業生を支援しようという動きが、出始めたのである。

 今のところ生活に困ってというよりも、彼らが持っている素晴らしい技術や考え方を次世代に継承できないかという議論が多いのだが・・・

 今後どのようなものへ進化していくか、楽しみな動きへとなっていくだろうと思う。

 トップ選手として活躍し、引退後はお医者さんや弁護士さんへ変身していくスポーツ選手がいてもいいと思うし、我々の議論にかかってると真剣に思っている。

 これまで日本には存在しなっかたような選手が育つ(セカンドキャリアも含めた)環境を作っていきたいと思う。そのためには一流のスポーツ選手を目指しながら、一流のキャリアも目指させる感覚を養わせことが必要。

 指導者側の意識を変えることが一番重要なことである。専門種目バカ(これが大事という方も多い)を作り出さないことだとも思ってる。

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2011年8月 9日 (火)

私の理想の学校創り Ⅰ

 今後時々だが、私自身が考える理想の学校創りについて書いてみたいと思う。

 今日は施設のレストラン編。

 食事場所は学校の規模にもよるが、やや大きめと思うぐらいのスペースを確保したい。食事しながら学習にも変化していけるような環境と考えて頂ければ分かり易いと思う。「図書室で食事」ではなく、「レストランで勉強である」。勿論、「図書室で勉強」の考え方は大切と思ってるし、間違いなく必要なことであるとも認識している。

 あとは、美味しいものを安く提供していきたい。「食育」の概念から考えても食べることの大切さ、楽しさを伝えていきたいと強く考えている。「食」関係の会社との連携も可能な限り作っていきたいと思う。ただ、安いものという考え方ではなく、素材を無駄なく利用できるシステムをその食関係の会社とともに開発していきたいと思ってる。多分、何か生み出せると思う。今はそのようなシステムはないと思うが、その理由は工夫していないだけのように感じている。学校がそこまで・・・ということだろうと思う。

 これだけに留まらず、学校が努力すれば良い方向へ変わることがいっぱいあると私は思ってる。学校がこんなことをして良いのだろうか? 学校としてのメンツが保たれるだろうか? 他の学校がやっていないのに無理してやらなくても・・・等々が邪魔しているものと思われる。

 渋渋の場合は新しい試みを積極的にやってきた。やってこれた理由は、理事長の人間的な大きさがあったからこそと、お世辞ではなく本気で思ってる。それでも周辺からの風当りの強い時もあった。「勝てばなんとか・・・」という通り、渋渋が発信元となったものは多くある。ひとつだけ紹介すると、説明会に参加して頂いた受験生・保護者の方々へちょっとしたプレゼントを渡した。それまでは、学校サイドから物を手渡すなど考えられないことだったが、今は当然まではいかないとしても不思議ではなくなった。

 その頃は正直、学校側が「上から目線」だったのだ、と思う。決してプレゼントがすべてと言ってるのではない。私は学校側が受験生・保護者への想いを伝える形として良いと考え、実行に移しただけである。

 そして、その時、その「想い」は伝わったと思ってるし、今も継続していると信じている。

 話を戻そう。

 食事場所は大きなスペースの中心に多くのテーブル席を設け、その周りに何種類かのフードショップやコンビニも設置する。好みの食べ物を手にして好きな場所で食べる。維持費等でもお金のかかることかも知れないが工夫に工夫を重ねて、いつの日か挑戦してみたい。学校法人として、できないことも工夫して乗り切りたい。

 ただ、私が考えるのは「あくまで生徒たちが望むことが前提にあるとすれば、達成可能である。」ということなのだ。

 皆さまのご意見もお聞かせください!

 

 

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2011年8月 5日 (金)

写真の役割

 旅行先でのスナップ写真、皆が集まった時の記念写真、そして今は何気ない日常の写真等、色々な場面やタイミングで写真は撮られている。勿論、写真(画像)だけではなく、映像も同様である。カメラは本当に身近な存在となっているし、カメラか電話かの区別も難しい時代となっている。

 今回私が言いたかったことは、画像や映像と共に残した時の記憶は、普通の記憶の何倍もの記憶として鮮明に残ることを伝えたかったのである。多分気づいている人は多いと思うが。

 写真を見ながら、その時のメンバーのことや状況を思い出しながら語り合ったとする。そうすると、その実際の日(写真を撮った日)の記憶が再現される。そして、写真や映像を見ることにより、一層確実なものを記憶として残すことになる。その後、時間の経過とともに記憶は薄らいでいくが、ごく当たり前の記憶とは雲泥の差が生じる。しっかり憶えているのである。

 私自慢の記憶法は画像・映像記憶である。

 例えば、柔道の授業では生徒たちの柔道着の胸の部分に名前を付けさせている。柔道の授業を受けている生徒(制服姿)に会っても名前が思い出せないことがある。そんな時、私の頭の中でその生徒に柔道着を着させてみる。すると、柔道着の胸についてる名前まで見えてくるのである。信じてもらえないかも知れないが、本当の話!

 もうひとつは、電話番号である。今は携帯電話のお陰であまり憶えなくなったが、30歳代には100件ぐらいの電話番号は記憶していた。学校、塾、レストラン、スナック(ちょっと古い)、その他いろいろ。私の場合、数字を憶えているのではない。あくまで、住所録に記載されている画像を記憶しているのである。だから書いて憶える、見て憶えることが大切と感じている。

 自分では気が付かないうちに学校の定期試験の勉強というと、書いて憶えたりしたものだ。多分、それは私に限らず画像・映像として記憶されている証明と私は思う。

 だから、画像・映像で記憶するということを意識してやってみて。

 多分、これまでの3倍は記憶できると思う。年いってる人もやってみて。

 きっと素晴らしい思い出がいっぱい作れるはずだし、記憶にも残るはず。

 

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