嬉しい手紙
10日(土)、東大の合格発表があった。
渋渋の結果は現役13名(文5・理8)、過年度卒3名(文2・理1)、合計16名(文7・理9)。
私立大学の結果も素晴らしい状況であり、生徒たちは本当によく頑張ったと思う。そして、この結果が来年、再来年に伝わっていくのだろう。
さて、本題。
6年前の話となるが、受験生Aくんとその家族との出会いから始まる。
A君一家は帰国家族。Aくんの受験を控えての帰国だった。都内私立中高の情報も乏しい中、渋渋だけはかなり気に入ってた様子。
帰国前はAくんのおばあさまが渋渋の情報収集のため、何度か本校にも来られていた。当然、私も「ご縁」があればいいですね。という想いであった。Aくん家族が帰国後は本人とも相談会等で話ができた。とても良い印象だった。
しかしながら、何度か受験して頂いたが結果は「不合格」。あと一歩であった。
その後、ご両親から相談を受けた。私に対して「先生のお勧めの学校があったら、紹介してほしい。」と懇願され、私は知り合いの先生がいるある共学校を紹介した。最後の試験にまだ間に合うタイミングではあったが、その日のうちに学校見学、願書提出と慌ただしい中で受験準備を行った。
そして「合格」。Aくんも納得して入学を決めた。
あれから6年が過ぎた。
先週、おばあさまからお手紙を頂いた。
内容は6年間お世話になった学校・先生方への感謝と紹介した私への感謝の言葉で綴られていた。
そして、Aくんは慶應義塾大学への進学が決定。
私もお祝いの言葉を返信。
私は素直に嬉しい気持ちでいっぱいになった。渋渋不合格が彼の頑張りに勢いをつけたのだと勝手に思った。良かったあ!
近々、Aくんに会いたいと思ってる。
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コメント
4月からお世話になります。
娘は2月1日に別の学校を受け、補欠でした。
2月中はこちらの説明会や制服の採寸等
進めつつ、悶々とした日々を過ごしました。
そして、3月1日付で3月1日に届いた
2月1日校からの手紙で
「ご期待に添えないかもしれません」という
内容をいただき、これからは渋渋だ! と、
気持ちを切替えつつあります。
と、でもですね。本当に申し訳ないのですが、
3年間勉強をがんばってきて、最後、
10~12月のサピのテストでも
2月1日校で80%合格が出ていただけに、
今、渋渋に100%の気持ちを
向けるのは実際、難しいです。
もともと、第1志望じゃないとイヤだと
思っていたわけではなかったのですが、
親はあれこれ考えてしまいますね。
ただ娘の方は、自分のことだから割り切れた
という感じで過ごしています。
ここに書き込んでいる保護者の皆さんは、
それぞれ結果を真摯に受け止めているので、
私もしっかりしないといけないのですが。
先日、友人に「入りたくても入れない子は、
どの学校にも必ずいるんだよ!」と、
注意されてしまいました。
失礼な書き込みをして、申し訳ありません。
6年間、よろしくお願いします。
投稿: いっぽん | 2012年3月15日 (木) 08時16分
いっぽんさまへ
確かに色々な立場、状況によっては「幸せ感」も違ってきますよね。
例えば、病気の状態で入試のことなど考えられません。まずは健康を取り戻すことが一番となります。
人は「欲」があって生きていくことができます。ステージアップしていくことも「欲」です。
しかし、いっぽんさんの現状はステージダウンしたわけではなく、受験前の状態から考えるとやはり前進(アップ)した状況だと思います。ただ、目標より少なめのアップだったのだろうと思います。
この状況を悔やむより、一度納得(満足)することで次への「欲」に向かえると私は思うのですが、どうでしょうか?
決して入学先が「渋渋」だからという意味ではありません。
やり直し(浪人)ができる状況であれば、私も「諦めるな!」と言うと思います。
でも、それが不可能であれば切り換えが大事ですよね。
入学したら、「渋渋」で良かった。と言わせてみせます。
投稿: 佐藤康 | 2012年3月15日 (木) 09時48分
初めて投稿します。
娘が今年入学予定です。
いっぽんさまへ
我が家も同じ状況でした。
志望校別模試は全て80%でしたが
第一志望の1日校、残念でした。
たくさん、たくさん涙を流しました。
そして、いつの間にか、季節は春になりました。
一緒に、前を向いていきませんか?
我が娘は、さすが、強いです。
先日届いた制服を着て、「想像以上に可愛い!」と喜んでおりました。
私も嬉しくなりました。
そして、こんなことを言ってくれました。
「お母さん、今まで勉強してきたことは、全然無駄じゃなかったよ。
第一志望(1日校)を本気で頑張ったから、渋渋にも合格できたんだと思う。」
渋渋は、母の私が気に入り、娘の併願校にと選んだ学校でした。
佐藤先生が、おっしゃるとおり
「渋渋で良かった!」と娘の口から出てくる日が
そう遠くない未来に来ると信じております。
渋渋には、生徒にそう言わせるパワーがあるのではないかと思うのです。
いっぽんさまのお子様と、もしかしたらお友達になっているかもしれませんね。
いっぱい涙を流しましたが、今は入学式を楽しみにして過ごしています。
投稿: はる | 2012年3月15日 (木) 15時46分
いっぽんさんとはるさんのコメント、そして佐藤先生の「嬉しい手紙」と「入学したら、「渋渋」で良かった。と言わせてみせます。」の言葉に、つい書き込んでます。
我が家は渋渋第1志望でなんとか合格したわけですが、受験終了後、親としては御三家などを受験しなかったことについてモヤッとした気持ちになった時期があります。塾や世間一般では男女御三家・駒東の話題ばかりですもんね。家庭で「受験するなら共学校」と決めていて脇目も振らなかったのに、合格したら・・・。もちろん今はまた元に戻って気にもしてませんが(そもそも子供は、塾から御三家等の話があっても気にも留めず渋渋しか頭にないままでずっといます。塾の友達とは「また6年後に大学で一緒になればいい」と)。
第1志望が残念だと複雑な思いがあるでしょうし、引きずるのも仕方ないのでしょうね。でも、ここは気持ちを切り替えて(少なくともお子さんの前では)、渋渋で楽しい6年間を過ごして、そして、大学受験や将来の夢を目指してお子様が頑張っていけるようにしていきましょう!我々の子供たちが渋渋の「伝統」を作っていけばいいのですから。みなさま、そして佐藤先生、よろしくお願いいたします。
投稿: 受験生の父 | 2012年3月16日 (金) 12時48分
いっぽんさま はるさま 受験生の父さま
色々な思いと佐藤先生のフォローアップを読んでおりました。
佐藤先生とは違う切り口で“フォローアップ”となれば幸いです。
私は東京医科歯科大学難治疾患研究所へ大学院生の頃、
学内留学して研究していました。
その間、大学の試みでフリー・クォーターという
医学部4年生(専門課程4年の内の2年生)を
各研究室で4週間預かるプログラムの手伝いがありました。
学生に研究や実験の手伝いを指導したり、
お茶や食事の席で語り合ったりしました。
一人は苦学生で我々の叱責にも堪え、最後には手紙を着けて
お菓子を教室に持ってきてくれました。
もう一人は・・・
所謂御三家中高校出の現役、世間と苦労を知らない子でした。
定時になれば、我々が実験していようがいまいが帰ってしまい、
“何に興味があるの?”と問えば
“親がK中学高校へ行って医者になれっていうから・・・”
“潰しが利くから内科へ行こうかと。”
(内科でこの学問や治療を極める!!!という目標ではなくです)
覇気の無い彼を見て、
有名中学高校の教育はどうなっているんだ!?
と当時教室員一同、腰を抜かしそうになりました。
一方、
私の娘が渋々で勉強とスポーツでお世話になっています。
同級生の子達が娘の柔道の試合へ応援に来てくれました。
私が気さくに彼女たちに話しかけて、
“遠い処まで応援に来てくれてありがとう”
そういうと、何と応えたと思いますか???
“活躍する同級生が一緒に居て、彼女は私達の誇りです!!!”
ご父兄の皆さん、如何でしょうか。
一例ずつでこれらが全てではありませんが、
学校とは名前だけではないのではないでしょうか。
中に入ってからの勉強・スポーツそして交友関係が
子供の資質を伸ばすのだと確信しております。
特に・・・
“誇りです!!!”
その様な言葉を、果たして我々が12~13歳の時に
口から出ましたでしょうか・・・
そんな、切れ者の学生が渋々には沢山居ます。
娘と両親共々、渋々へ進学させて、迷いなし。
学校と先生方を信じて、一緒に子供のサポートをして参りましょう!!!
投稿: Dr. Terry | 2012年3月16日 (金) 16時18分
はるさまへ
佐藤です。コメント遅くなりました。
浜松出張でした。
色々悩み、決断してほしいですね。決めたらあとは迷わず、前進あるのみだと思います。
お嬢さまは前進し始めたように感じます。私も嬉しいです。
ただ、渋渋への入学決定となると、通うことのない1日校がどんなものか体験できませんよね。それゆえ渋渋と比較できないことが私も残念に思います。
ということは「渋渋」で正解だったと信じるしかないと思うのです。
壁にぶち当たったら、ご相談くださいね。
今月いっぱいの受験生の父さまへ
渋渋&佐藤のフォロー有難うございます。
と言っても私は自然体で努力していきたいと思ってます。
開校以来、そこが渋渋の魅力と思っております。本校の足りない部分があれば、遠慮なくご指摘いただき、可能な限り対応していきたいと考えております。
まあ色々あると覚悟しておりますが、5月の連休明けには足並みが揃うよう工夫・努力致します。
Dr.Treeyさまへ
何かとアドバイス頂き、感謝です。
生徒・親・教師が一丸となり、「渋渋」を輝かせていきたいですね。
信じて前進しましょう!
有難うございます。
投稿: 佐藤康 | 2012年3月17日 (土) 10時04分
書き込んでおきながら、週末は卒業式や
その他、子供たちの行事に振り回され、
返信が遅くなり、たいへん申し訳ありません。
卒業式では、証書を受け取る前、
壇上に上がったところで各自、いろいろな
思いを宣言する場面がありました。娘から
内容を聞いていなかったので、
壇上で初めて聞くことになりました。娘は
「中学では、将来の夢を決めます」と。
潔いと思いました。そしてこの子は、中学での
自分に期待していると直感しました。
実のところ、親はいまだに立ち直っていない
部分もありまして。お恥ずかしい話です。
しかし、皆さんの優しい書き込みなど、
心にしみました。ありがとうございます。
これから渋渋で学ぶ娘のフィルターを通して、
気持ちの整理が着いていくのだと思います。
それでいいでしょうか。
はるさん、同じ立場なのにしっかりしていて
羨ましいです。娘ももちろん、これから
よろしくお願いしますね。
受験生の父さん、周囲の受けのいい学校に
影響されていたつもりはなかったのですが、
結果、そういうことだったかもしれません。
気持ちがブレていたら、ダメですね。
Treeyさん、学校の代表で外に出て行ける子、
活躍できる子がいると、私たち保護者も
鼻が高いです。ぜひ、応援させてください。
佐藤先生、失礼な書き込み、本当に
申し訳ありませんでした。我が家にも制服が
届き、今週中に写真を撮りに行きます。
ただし、悶々としてではなく。
投稿: いっぽん | 2012年3月19日 (月) 10時24分
いっぽんさまへ
はい!
あとは時間が解決してくれると思います。
では入学式で。
投稿: 佐藤康 | 2012年3月19日 (月) 17時19分
先月の3日、ちょうど1か月前、渋渋の11期生の卒業式がありました。その卒業式に出席した父親です。息子の在学中は、このブログの存在も知りませんで、お恥ずかしながら、何を今さら…という感じですが、一言、先生にお礼と、そしてコメントされている親御さんに、何らかの参考になれば、と書かせていただきます。
ほぼ5年前の2月、息子は帰国子女枠(ただし、英語ネイティヴの海外校ではなく日本人学校からの)編入で、渋渋に通いだしました。当時は、子供自身の意思というよりは、私と妻が「共学校、中高一貫、帰国子女枠による編入」という条件で探し、東京の家からも通いやすい、ということもあったのですが、「自調自考」すなわち「自分で調べ、自分で考え、自分の考えで行動する」という方針も、とても納得できたので渋渋を希望しました。前の年の夏頃でしょうか、一時帰国した際に訪問させていただき、佐藤先生にお話を伺ったかと思います。お世話になりました。ありがとうございます。
それぞれの学年ごとの性格というか、色というのがあるようですが、今年卒業の11期というのは、渋渋の中でも特に生徒の自主性を重んじていただけていた、と思います。毎年秋の飛龍祭は高校2年生がリードするようですが、11期は高3でも有志が集まって発表をしたようです。私自身は残念ながら海外に出てしまい見ることは出来ませんでしたが、見ていた妻の話では、親も先生もボロボロ泣いていたと聞きました。そういう育て方をしてくれた学校です。佐藤先生も書かれていますが、大学合格の実績でも先生方のご期待にある程度応えられたのであれば、先生方の方針が間違っていなかったという証明でもあり、親としてもとても嬉しく思います。
保護者の会で、私も出席した時、ある親御さんが「携帯ゲームを学校に持っていくことを学校で規制して欲しい」といったご意見を出されました。これに対して、校長(理事長)は「学校で規制するのは簡単だが、そうすれば必ずコソコソやる人が出てきます。そういうことでは本質は解決しません。生徒たちが、きちんと考えて行動してもらいたいのです。」といった趣旨のことをおっしゃったと思います。渋渋は、大変に面倒見のいい学校だと思います。でも、自分の子供のこと、学校にだけ任せることは許されません。親も子供も、自分たちの姿勢を問われます。でも、それを理解し納得できる親と子供にとっては、とても過ごしやすい、心地よい環境を提供してくれる学校だと思います。
卒業生の入場後、A組から生徒の名前が呼ばれ、一人一人起立していきます。既にA組の担任の先生、最初っからほとんど泣いています。卒業式では総代に授与されますが、式の終了後、来賓が退場された後、改めて校長先生から一人一人に卒業証書を手渡していただけます。卒業生は真ん中の花道を退場していくのですが、自分たちで選んだBGMにのって踊りながら退場していく卒業生に後輩から「××せんぱーい、おめでとう!」と次々と声がかかります。
そうは言いつつ、学校生活を楽しむのも大事だけど、やはり大学進学、勉強はどうなのか?というご心配もあるでしょう。中学では渋渋が第二志望だった、との親御さんがいらっしゃるようです。私も、実は可能であれば自分が通った中高に息子を通わせたかった(残念ながら、中学からの帰国子女編入はなく諦めた…)のですが、佐藤先生も書かれているとおり、必ずや「渋渋でよかった」と思える日が来ると思います。おかげさまで息子は予備校に通うこともなく第一志望の大学に合格しました。「よく、学校の勉強だけで合格できたな?」と聞いたら、「授業でも十分に入試対策の勉強をやってくれていたし、分からないことがあったら、いつでも聞きに行けば(授業を担当している先生だけじゃなくって、他の先生でも)丁寧に教えてくれるよ。この前も『なんとかの解』(なんだか、難しいことを言っていたので、衰えた頭の親は内容を正確には覚えていません、ゴメンなさい)が分からなくて聞きに行ったら、(そこにいた)先生が即『それは定義(存在?)しないことになっているんだ』って教えてくれた。それって、すごいことでしょ?」と話していました。
息子は、入学してから5年と少し、ほぼ毎日開門の時間には学校に着き、授業の前も放課後も教室やカフェで友人たちと過ごし、一緒に勉強したり遊んだり、本当に充実した中学・高校の生活を送ってきました。
なんだか、訳のわからないコメントになってきましたが、卒業式後の謝恩会では、多くの先生にお会いし、お礼を申し上げました。佐藤先生には直接、お話できなかったのですが、とにかく渋渋の先生方の情熱、生徒を育てる心に感謝しています。ありがとうございました。
私は、息子を渋渋に通わせて、本当に良かった、100%正解だったと思います。そして、渋渋の学校生活を送れた息子を誇りに思います。今、思い悩んでいる親御さんたちも、6年後に、同じような思いをされることをお祈りしています。
投稿: 11期卒業生の親 | 2012年4月 3日 (火) 23時38分
11期卒業の親さまへ
あまりにもお褒め頂き、恐縮してしまいます。
ただ調子に乗ってお答えしますと、学校におけるゲーム機の問題についての校長の考え方がすべてと思っています。
教師側にすれば、禁止事項となれば指導のしやすさはあります。しかし、禁止とはせずに止めさせる方向に持っていく姿勢が渋渋の形と校長に言われると「自調自考」の本当の意味を知ることとなります。
「一事が万事」の言葉通り、これが渋渋ですね。
貴重なコメント有難うございました。
投稿: 佐藤康 | 2012年4月 4日 (水) 18時41分