結果が必要である理由
「結果を出す」とはどういう意味か?
特にスポーツに関わりの強い人間にとっては「良い結果(成績)を出す」ことが「結果を出す」いう意味と認識しているはずである。
それはそれで決して間違いではない、と私も思ってる。
ただ、ここでの「結果」はちょっと違う意味でのものだ。
私たちは、日常の生活の中で夫婦・親子・友人・知人・取引先等々の人間関係がある。その中で約束事があったり、頼まれ事があったりする。そして、その事に対しての「結果」をそれぞれの相手に伝えることが自然な流れであると私は考えている。
例えば頼んだ側にすれば、あまり急がせたりしたら申し訳ないという想いから、「静かに相手の結果(連絡)」を待つこととなるだろう。
頼まれた側が誠心誠意頼まれた内容について努力していると仮定すれば、急がされるのは確かに辛いし、鬱陶しい。
しかしながら、出来もしない事・やる気もない事を簡単に引き受け、それっきりの人間もいる。当然、「結果」の連絡も相手にしない。いや、動いてないから連絡できないのだ。あるいは忘れている。
私は何かを頼まれ、引き受けた場合、なるべく期限を切って「結果」を伝えるように心がけている。そして、いつまでに私から連絡が入らない時は「私が完全に忘れている時なので遠慮なく連絡してほしい。」と付け加えている。
色々な事情があって、頼まれて努力した結果出来ない事もあるし、出来ると思ってたことが動き出したら無理となる場合もある。
私は、頼まれ・動き・できた、またはできなかったを伝えることがお互いにとても大切であり、必要なことと最近強く感じている。
頼んだ側は「良い結果」だけを待ってるのではないことを再認識したい。
相手が自然に諦める時間を待つのはあまりにも酷だと思う。
一度引き受けたら「結果(結論)は出そう。」
その結果しだいで次へ動き出せるのだから。
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