一度は天狗に
先日、何気なく大相撲中継を観る機会があった。
ゲスト解説には今年いっぱいで引退したソフトバンクの小久保選手だった。
私はジャイアンツファンだが、プロ野球ファンでもある。小久保選手に対しても彼がジャイアンツ在籍時代からのファンであった。
その相撲中継中の話である。相撲のアナウンサーが小久保選手に「彼自身がスランプになった時の理由」を尋ねる場面があった。
すると彼は「天狗になっていたから」と即答。
実に解りやすい。
ただ、「天狗になったお陰で今がある」とも語っていた。「天狗の鼻をへし折ってくれる人たちが周りにいたから」という。これまた解りやすい。
私は生徒たちに「勝っておごらず、負けてくさらず」という話をたまにする。
小久保選手の場合は「勝っておごり、負けてくさらず」ということになる。
スポーツ選手の場合、勝負の世界で生きていくためには多少良い意味で「生意気さ」や「目立ちたがり精神」も必要。
ただ、出過ぎると打たれる。しかし、出過ぎてみないとその打たれるラインが分からない。
確かにプロとアマチュアの違いは歴然としている。プロに許されてアマチュアには許されないこともあるだろう。また、その逆もあるだろう。
うちの柔道部に置き換えて考えてみると、トップ選手となった中村、これからなりそうな朝比奈を見ても「天狗にはなっていない」、それでいいのだが、何か新しい指導法(天狗になるほどの実績を出し、それでいて何となくかわいい選手を生み出す環境作り)も考えてみたくなった。
「周りの人たちが天狗になってもムカつかず魅力的に感じ、そしてなぜか謙虚さと真摯な態度もチラッと見える。」
そんなスポーツ選手、どこかにいたように思うが、誰だか思い出せない。
でも確かに存在してるはず。してたはず。
何でも「微妙にラインを越えない適量・適度」であれば、すべて魅力になるということか?
でも、そのラインが分からないので「一度突破」してみることもいいのでは?
という気持ちになった。
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