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2013年10月

2013年10月25日 (金)

約束は約束!

 57歳にもなると、出会う人たちの職種の幅も広がってくる。色々な分野で活躍している人たちとの出会いの場が増えた。

 それは自分が生きてきた証しでもあり、成長した自分を実感することもある。

 私の職業は教師。

 「約束は守るもの」、疑いもなく当然のこと。守れなきゃ「約束」しない。

 ただ、どうしても状況の変化や物理的にその約束を守れなくなる時もゼロではない。

 私は特に生徒との「約束」を大事に考えている。勿論、親御さんに対しても同じあるが、やはり一番は生徒となる。

 そんな感覚の私なのだが、最近異変が起きている。

 学校関係の中でも外でも、つまり私を元々教師と知っている相手とは、これまでと変わらないお付き合いさせていただいている。

 ところが、最近出会う公私でいうと「私」の部分の人たちの調子の良さについて行けない私がいることに気が付く。(誤解のないように書いておくがすべての人たちことではない。)

 友人関係が広がったお蔭でパーティ等に参加する機会が増えた。そこで出会う人たちは教師という職業の方はほとんどいない。でも、私自身それが良くて参加している部分も正直ある。

 色々な見方・考え方を知りたいとも思ってるからなのだ。

 そんな出会いをした人たちと少しだけ親しい関係になり、話も弾んでくる。

 勿論、社交辞令と思いながらも、次回お会いした時は「あうしよう・こうしよう」という話になったとする。

 だが、それはまず残念ながらほぼ「嘘」らしいことに気が付いた。私はそれを「約束」と判断し、再会に備える。

 再会が実現し、前回の私にとっての「約束」について切り出すと「そんなこと信じていたのか?」ぐらいに対応される。

 そして、彼らは不思議なぐらいまた別な話を持ちかけてくる(そんな連中は見事に共通している行動)。私は前回の話の結論を見ないまま前には進めない、と話すと、茶化されて終わり。

 そんな彼らのことを成功者として私には紹介されていたが、とても信じがたいことだ。

 騙されて「お金」を取られたわけでない。

 その場を楽しむための大きな話なのか、見栄の張りあいなのか、やっぱり私には理解できない。

 そんな彼らだが、暫くすると何事もなかったように自分の頼みごとの件で、連絡をくれたりする。またビックリ!

 信頼している友人からの紹介の人だと簡単に無視もできない。ただ、最近は私の考え方を彼らに伝え、2度同じ疑問を感じたら付き合いをやめるようにしている。

 どうやら、それは正解のようだ。

 彼らは悪気は無い、それは私も理解できてるが「約束は約束!」を私は貫きたい。

 彼らにとっては、商売(お金)が絡む「約束」はきっと本当の「約束」なのだろう。

 こんな経験をしてから、以前より「約束」にこだわるようになってきた。

 無理のない「約束」も大事。

 約束を守れない可能性ありだけど、「努力」はする、なんていう「約束」はありだと思う。

 教師としてではなく、人として当然と思うのだが皆さんはどう思うのだろうか?

 私が甘いのか?

 もっと具体的に書きたかったが、迷惑がかかるところもあるので、この程度。

 

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2013年10月 9日 (水)

第2回東京オリンピック

 2020年東京オリンピック招致決定から早一ケ月が過ぎた。

 私個人としても東京オリンピック招致を願っていたので、とても嬉しく思った。

 

 1964年第1回東京オリンピックの時、私は小学2年生。

 その時の担任の先生が授業を潰してまで、教室に設置されている白黒テレビで「体操競技」を観せてくれた。そのことを妙に、しかも鮮明に記憶している。

 その他記憶に残っているのはマラソンの円谷選手(銅メダル)、優勝したエチオピアのアベベ選手も強烈な印象として思い出させる。

 東洋の魔女といわれた女子バレーの決勝、そして優勝もしっかり憶えている。

 しかし、当時私は仙台に住んでおり、正直ロンドンだろうが東京であろうが、同じ海外での出来事ぐらいにしか思っていなかった。それだけ東京も遠かった。

 ただ、当時の大人たちが良い刺激を我々子供たちに与えてくれたのだろうと思ってる。

 閉会式の記憶はこんな感じである。それは各国の選手たちが整列せずに歩き出していたことである。国に関係なく、選手たちが一緒に行進ではなく、腕を組んで歩いているのである。

 その光景に物凄い感動を覚えた記憶がある。

 「並ばなくても怒られないんだ。」という今なら思いっきり笑えそうな話だが・・・

 戦後20年も経っていなかった時だったと考えると、そんな感覚も不思議ではなかったのかも知れない。

 2020年第2回(あえて第2回と言いたい)東京オリンピック開催は、無限の可能性を秘めている。

 招致賛成が70%を超えた時点での決定。

 勿論、反対意見の中には頷ける意見も個人的にはあった。

 それは東日本震災の復興の問題である。

 簡潔にいうと「復興を優先せずにオリンピックなのか?」という意見である。

 あくまで私個人の考え方だが、オリンピック招致が失敗したとして、その分、復興に力が入ったかと考えると、厳しい状況は変わらなかったと思う。

 招致の最終プレゼンにおいて安倍首相の原発問題の処理についての政府の考え方を導き出せたことが大きいと私は思ってる。これはオリンピックが絡まなければ難しかったと思う。

 世界に向けて発信した言葉の重みを理解してるはずと、私は安倍首相を信じたいし、国民全員で見守っていくべきことである。

 それから、首都高が新しく生まれ変わることも嬉しい(橋梁やトンネルの崩落事故等未然に防げる)。安全第一に見直しを確実にやってほしい。JRの問題もしっかり改善してもらいたい。

 カッコいい日本・緻密な日本・安全な日本を再建していくチャンスであると思う。

 当然、一番目には経済効果を期待してのオリンピックなのだろうが、そのことをスタートとして考え、その次の効果が何なのか?または何を生み出すことができるのか? 国民一人ひとりが考えていくキッカケになってほしいと思う。

 身近な話だったが、84歳の私の父が7年後のオリンピックを観たいと言っていた。

 まあ、それほど力まなくても91歳の私の親父は想像できるのだが・・・

 何か、そんな気持ちが「頑張りの糧」になりそうに思うのは私だけだろうか?

 最後に「東京オリンピックへの私の願いは、女子柔道日本代表に私の教え子2名選出されることだ!」

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