スマホの功罪
私は「ガラ携派」、「ガラクタ携帯」の意味と勝手に思い込んでいた。
ところがそれは間違い!
なんと「ガラパゴス携帯」の略称だった。
「進化から取り残された携帯」という意味らしい。
「携帯電話」の進化が止まらない。当然、私はその進化についていけない。
一応、アイホンは持っているがせいぜいパソコンの代用品感覚しかない。
それでもまだ、生徒や若い人たちと関わりあるので、フェイスブック・ツイッター・ラインがどんなものかは何となく知っている。
ただ、正直やり方が分からないし、今後も使わずに生きていければ「私自身の携帯電話進化」はあり得ないだろう。
でも必要に迫られれば考えようとも思ってる。と言っても今は無しだなあ!
携帯電話の出現により、まず「生き方」・「遊び方」・「人との付き合い方」が変わった。
電話そのものの「文化」も変えたように思う。「メール」の存在が大きい。
私が中学生の頃、好きな女の子の家に電話する事などは、ある種、命がけだった。なぜか、相手のお父さんが出ないことを祈りながら電話した記憶がある。
運悪く、お父さんが出たときには「間違えました」と言って電話を切った(バレバレだったのだが)。今更だが自分自身を「何と、かわいい奴」だと思ってしまう。
そのお父さんのせいで恋も成就しなったこともシバシバ。
それに比して今は携帯電話を大人も子どもも一人1台、いや2台ぐらい平気で持っている。いつでも、何時間でもOKなのである。
プロポーズもカミングアウトもガラ携帯やスマホで済ますヤツもいる。
断られた時のショックが少ないためらしい。
でも私佐藤としては「直接アタック」でないから、「フラれるのだ」と言いたい。
そう言いながらもやっぱり便利であることに違いない。
携帯を使うようになってから私の仕事上でも「無駄」が少なくなった。
ただ、電話は今実際に一緒にいる人たちの間に割り込むし、気がつくと電話の方を優先させてしまう自分がいる。
冷静に考えると一緒にいる人に失礼な行為であると思う。
やむを得ない場合は一緒にいる人に「電話に出てもいい?」ぐらいの配慮は必要であろう。私も気をつけたい。
今、「ライン」での問題が子どもだけではなく、大人の社会でも問題となっている。
色々な機能の進化が「イジメ」の問題に結びついている。
まずは「仲間はずれ」にする。それから既読か否か判断できるために、特に相手の状況が把握できない場合、余計な誤解を招いてしまったりする。
まさに「スマホの功罪」である。
「スマホの功」のみ進化すればいいと思うが、それはスマホを使う人間の努力が「必要不可欠であること」をあらためて確認しておきたい。
実に素晴らしい時代なのだから。
私にしてみれば、「メール」が切手も貼らずに世界のどこにでも届くことが不思議であり感動である。
先日、渋谷の街中で「今からメールを送るよ!」と電話で話しているおじさんを発見!
理由は無いが「嬉しかった!」
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コメント
佐藤先生に同感!~笑
時代は変わりましたよね。男女問わず、メールやらで簡単に連絡を取り合う息子たち。
携帯電話にところかまわず出てる(かけてる)人もよく見かけますね。
自分は電話には相手がはっきりしてて必要だと思わないと出ない時が多々あります。
その点は、メールというのは使い勝手がよいですね。すぐに見なくてもいいので。
でも、思わぬ誤解を招いたりもするのは、やはり直接でないためか。
また、メールを送っても見てくれたかどうかがいつまで経ってもわからない人もいるのも、気になるところ。
それを解決できる既読機能のあるラインは、それが理由でいじめにもなりうる。
結局は、どんなに進化しても、使う人たちの良識が重要ということでしょうね。
投稿: 在校生の父 | 2014年5月 5日 (月) 16時02分
在校生の父さまへ
スマホだけではなく、人間が作り出したものすべてを正しく使いこなすために工夫・努力が大切ですし、必要不可欠なことですね。
そして、大人が手本を示さなきゃダメですよね。
我々大人が頑張りましょう!
投稿: 佐藤康 | 2014年5月 6日 (火) 01時12分