心と体

2012年1月18日 (水)

いつも通り

 少し前になるがスケートの浅田真央選手が、お母さまの急逝から立ち直り、復活優勝を成し遂げた。優勝はどんな大会でも素晴らしいし、大変なこと。

 彼女は一時の不調から脱出し、これからというタイミングでのお母さまの「死」。その後、しばらく休んでからの大会出場で優勝、個人的にとても感動した。

 その復活優勝を飾る前日のインタビューで彼女は「いつも通り」という言葉を口にした。

 レベルや種目は違うが、私もいつも「平常心」・「練習通り」・そして「いつも通り」という言葉を用いて選手たちを励ましている。

 しかし、「いつも通り」は簡単に実現できることではない。「いつも通り」は、きっちり・しっかり練習(準備)ができた時、やっと生まれる言葉である。

 なかなか自然には出てこない。

 そう、「いつも通り」は意識して「いつも通り」、努力して「いつも通り」なのだ。

 

 入試に置き換えよう、「いつも通り」で入試が受けられれば合格の可能性が大となる。

 だから「いつも通り」をキープするための工夫をしよう!

 ただし、常にサボってる人にとっての「いつも通り」はマズイと思う。そいうこと!

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2011年7月 8日 (金)

子育て

 「子育て」については、色々なアドバイスや方法論は世の中に氾濫している。

 最高の「子育て」というものは無いと私は思ってる。ただ、それぞれの夫婦が考える最高の「子育て」の理想はあるかも知れない。

 私(佐藤)の最高の「子育て」の理想は、「環境は人を育てる」の格言とおり「子育てのための環境つくり」を意識してやってきたつもりである。順調に育ったかは判断しづらいが。

 何を持って最高かは確かに判断は難しい。

 

 今日は私が共鳴したスウェーデンの社会科の教科書に載っている「子ども」というタイトルの詩をご紹介したい。

 作者はドロシー・ロー・ノルト氏

 「子ども」

 批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる

 殴られて大きくなった子どもは 力にたよることをおぼえる

 笑いものにされた子どもは ものをいわずにいることをおぼえる

 皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもち主となる

 しかし 激励をうけた子どもは 自信をおぼえる

 寛容に出会った子どもは 忍耐をおぼえる

 称賛をうけた子どもは 評価することをおぼえる

 フェアープレーを経験した子どもは 公正をおぼえる

 友情を知る子どもは 親切をおぼえる

 安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる

 可愛がられ抱きしめられた子どもは 世界中の愛情を感じとることをおぼえる

 以上です、いかがでしたでしょうか?どうしても紹介したかった「詩」でした。

 すべてとは言いませんが私は納得。

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2011年6月10日 (金)

「~しなさい」の効果

 幼児期「早くしなさーい!」、10~15歳「勉強しなさーい!」、高校生「勝手にしなさーい!」と言ってませんか?

 皆さまの年齢は様々なので、言い始めの方、途中の方、失敗された方、もう一度子育てできたら違うのにと思ってる方、きっと色々ですね。

 この「なになに、しなさーい!」という言い方はやめた方が良い。お母さまにしてみれば、冷静に落ち着いた雰囲気が保たれ、心地よい響きと思ってる方が多いかも知れない。

 しかし、子どもたちにとっては悪魔の囁きに聞こえてることはご存知?

 最後の「勝手にしなさーい!」は、所謂母親の敗北宣言に該当する。お子さまへの愛情表現であれば、違う言い方にしてほしい。

 余計なお世話だが、幼児期「ちゃんとしっかりやろうね!」、10~15歳「勉強って大事なんだよね!」、高校生「自分のためにやれることをやってね!」

 結局、親が子どもに伝えたいことは同じ、ならば後の方がいいと思う。

 私が子どもなら、ちょっと頑張ろうという気になる。

 

 

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2011年5月21日 (土)

心の教育

 本校は「躾教育」とは言わず、「心の教育」という言い方をする。

 特に「心の教育」が必要な時期は、幼児期から小学生、中学生前半ぐらいまでと思う。

 「心の教育」初歩編を少しだけ。

 特に小学校高学年から中学校前半は、親の気持ちとして子どもに対して「何回注意したら分かるのかしら?」という想いをしていないだろうか?

 親が子どもに対して、同じ注意や話を何回も繰り返し行ってきても、子どもの反応は変わらないという状況は、いつの時代も同じであると思う。

 では注意しない方が良いのか?

 それは違う。

 子どもが反応していない状況であっても根負けせず、淡々と繰り返し注意・話をすることが本当に大切なのである。

 ただし、怒鳴ったり、感情を露わにすることは避けたい。あくまで「繰り返すことが効果絶大となるのである。」

 部屋掃除はもちろん、身の回りの片付けができなかった子どもが突然できようになったり、食事の後片付けの手伝いすらやったことない女の子が急にやり出したりする。

 当然、キッカケはある。

 その作戦とは、これだ。

 ずーっと、繰り返し言ってきたことを突然言わないようにする。

 お母さまが体調を崩してしまう。

 つまり、過干渉レベルから無干渉レベルへのダウンが効果的。

 ちょっと試してみて!  諦めずに。

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2011年4月30日 (土)

相性?

 「相性がいい」とは、どんなことか考えてみた。

 私の考えだと「愛性」・「合性」の総称が「相性」と思う。勿論、当て字だが。

 だから「相性」の始まりは、親と子の関係であれば「愛性」であり、教師と生徒の関係であれば「合性」と考えて頂ければ、解りやすいだろうと思う。

 共通して言えることは、「心地よい距離感、居心地の良さをお互いに感じ取れる関係。」が「あいしょうがいい。」ことだと私は理解している。そしてもうひとつは「やる気になっている状態を保てる関係」、つまり前向きの気持ちを維持できることが「相性がいい」ということになる。

  さて、あらためまして皆さまはお子さまとの「愛性」はいかがでしょうか?「相性がいい」状態を目指すことは親として当然。そのためには「愛性」からのスタートが大切。ただ、正直「愛性」の場合、生まれてからすでに育まれている部分もあり、お子さまが大きくなるに連れて難しくなることも事実。残念ながらこれまでの「愛性」は今イチとお考えであれば、「合性」に切り換えることも秘策になるかも。

 教師として生徒との「相性が悪い」と感じた場合、当然努力をするが、努力が逆効果となることも多い。それは「相性」ゆえのことかも知れない。もし、私が生徒や親に「生理的に受け入れられない。」と言われたとしたら、多分「相性が良くなるための努力はしない。」ような気がする(念のため言っておくがこれまでに言われたことはない、ただもしかして俺のことを親子で嫌い?と感じたことはある、残念)。それは努力でなく、迎合となるから。もしそうなった時は、その親子のために自分がやれることを黙ってやるしかない、といつも考えている。そういう努力は教師として当然であるとも思っている。

 何か屁理屈の多い文章となっているが、今回私が皆さまに一番伝えたいことは「相性がいい」ことは、お互いに成長できるということと、「相性がいい」と思い込むことにより、その成長のスピードを加速できるということを知ってほしいから。

 スポーツの指導においても、強い選手を多く育てる指導者は常に「相性」を気にしているはず。私がそうだという意味ではないが、私は「相性がいい状態にする」自信がない場合、信じてもらえないかも知れないが、その選手が技術的にどんなに優れていたとしても実は受け入れをお断りしている。

 それは、「相性のいいの指導者」に出会うべきと思うからである。

 

 今後、「夫婦の愛性」についてもいつか考えてみたい(言っておきますが、一般論としてのこと、決して自分のことではありません)。

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2011年4月12日 (火)

「生かされている」

 まずは報告。

 10日(日)静岡武道館での朝比奈沙羅ちゃん(中3)の試合結果。

 全日本カデ(17歳未満)柔道体重別選手権大会70キロ超級において見事優勝した。

 8月にウクライナで実施される世界カデ柔道体重別選手権大会の日本代表にも選出されました。

 ブラジルのリオ(2016年)で開催されるオリンピックも目指すことになりそうだ。

 中村同様応援よろしくです。

* カデとはフランス語で「末っ子」という意味。シニア、ジュニアのより年齢が下の意味らしい。

 さて本題に入ろう。

 自然の力は計り知れない、人の優しさも計り知れない。私は今回の大震災により自然への恐怖、そして、人の温かさも知った。

 私は他人に迷惑も掛けず、逞しく「一人で生きている」つもりでいた。

 でも違った。自然によって「生かされている」ことにあらためて気付かされた。また、自分の身近な人、他人の優しさ、気遣いによって「生かされている」ことにも気が付いた。

 良い意味でも悪い意味でも「ひとりで生きているのではない」ことを知らされた。どんなに偉そうなことを言ってもやっても一人で実現させたことではないことも知った。

 そして、「素直に感謝!」の心を知った。

 今回の震災は確かに「不幸」をいっぱい運んできた。でも、ほんの少しだけこれからの日本が進むべき道標も運んできたと私は思う。

 ある都知事がこの震災について「天罰」と思わず言ってしまった(のちに撤回し謝罪した)。勿論、私も間違った発言と思ってる。

 しかし、庇うつもりもないが、多分最近の日本全体の「閉塞感」や「やる気の無さ的」な雰囲気を打破させたいという想いが「天罰」という言葉になったようにも感じた。犠牲になった人たちに対しての言葉ではなかったはずだ。だから「今こそ頑張る時!」と言いたかったのだろうと私は信じている。

 確かに現状を考えたら、いつまでもクヨクヨしていられない。今日本人がやるべきこと、それは

 「生かされている」という気持ちを忘れず、「前進」することだ!

 

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2011年3月 3日 (木)

悩み解消法

 「先生って悩み無いですよね?」とよく言われる。余計なお世話と思いながら、結構当たっている。でも本当はそんなことはない。俺だって「秘密」もあれば、「悩み」もある。

 ただ、継続する「悩み」は確かに無いかも。いや、解消する努力をしているから、「悩み」がないように見えるのだ(本当に)。

 その佐藤流解消法を伝授したい。合う方には、良いと思う。

 その「悩み」は、一つなのか、二つなのか、三つなのか見極める。複数の「悩み」の場合、2倍、3倍ではなく、2乗、3乗となっていく。妙な形で絡み合うととても厄介なものへと変身する。

 「悩み」が複数となる前に解消することが理想であるが、すでに複数となっている場合、まず絡まった状態から「悩み」をバラバラにして考えるようにする。次に自分自身だけで解消できることなのか否か判断する。あるいは、自分で解消できるものをできるだけ早く解消させる。

 自分だけではどうしようもないと判断した時は、迷わず他の人の力を借りる。とにかく悩んでいる時間を短くする(たまに悩んでる自分が好きという方もいるが、それはそれで一生悩んでいればいい)。

 それから、もうひとつ根本的な考え方がある。それは、その「悩み自体」、解消すべき「悩み」なのか、そうでないのかという考え方。人は「悩み」があるから成長できる部分もあると思うから。そして、悩んでも明らかに解消できないものであれば、諦めるとか忘れるとかという努力へ変換していかねばならないということ。

 最後に、何に悩んでるか、誰に悩んでいるのか、「悩み」はいくつあるか、自力で解消できるか、解消へ向けての努力が無駄でないか、諦めた方が良いか、忘れた方が良いか、悩むだけバカかをできるだけ早く考え、自分なりの結論をだすことだと思う。

 そして、即実行!

 

 

 

 

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2010年12月 8日 (水)

「待てる」心を

 「早くしなさい!」 「まだ、やってないの?」これは口癖なのか、イラつきなのか、考えたことありますか?

 多分、それはどちらでもない。「せっかち」なだけと思う。

 以前、私もそうだった。あとちょっとが待てないのだ。あと1秒、あと1分、あと1時間、あと1日、あと1ヶ月が待てなくて損した経験がある。ただ、ちょっとと言っても単位は違う。それはその時その時で待ち方が違うので当然である。

 仕事が早い、対応が早い、寝るのが早い(これは私か)等々、企業戦士として活躍している人たち、またその奥さまたちにとっては大事なことであり、いわゆる「できる人間」の基本である。少し余談になるが、企業で活躍された方々が学校の校長になる話はよく耳にする。でも、失礼ながらその後の活躍された話や学校が素晴らしく生まれ変わった話は聞かない(決して彼らの悪口をいうつもりはないのでお許しを)。

 それは仕方のないことと私は思っている。

 学校の変革は、教師の「待てる心」が大事だからなのである。「待つ心」ではない。「待つ」は我慢の心も生まれかねないように私は考える。それに対して「待てる」は幅を感じる。だから「待てる心」なのである。

 つまり、企業で活躍された方々は「せっかち」が多い(それは能力が高いことでもあるが)。彼らは何をやるにも遅いことは、能力が低いとみてしまう。それだけにこの場面は早く、この場面は時間をかけてという状況判断はしない。早いことがいいことだから。

 勿論、私の言うことだけが正しいとは思っていないが、ぜひ考えてほしい。

 ちょっと横道に逸れてしまったが、学校でも家庭でも教師や親が少しでも「待てる心」を持っていれば、子どもが救われるケースがいっぱいあるように思うのは私だけでしょうか?

 愛しているのであれば、「待てる心」を。

 勿論、どう考えても早くやった方がいいものは早さを求めていいですからね。

 

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2010年11月 4日 (木)

「欲」があるから生きている

 病気を患っている子どもに「勉強しなさい。」という親は、普通いない。

第一にやるべきことは病気を治すことである。治癒してやっと「勉強しなさい。」となる。

 今、それぞれが生きている。それも「何か目的を持って生きているはずである。」

その目的は人には言えないぐらいくだらなくてもいい。長期的な目的・目標から身近な夕飯の買い物など、いわゆる「欲」によって生きてるし、生かされてもいる。でも、正直なところ買い物ぐらいで、生きてると実感する人は少ないと思うが・・・

 

 私が言いたいことは、いつも逞しく強く楽しく生きていくための心構えについてである。

 まず、今現在の自分自身の現況・現状を知ることからスタートである。その上で目標設定をする。もちろん一番大切なことは「将来の夢」についてである(年齢は関係ない)。次に「将来の夢」を前提としてのこれからの動きについて考えることである。もうこれだけで十分生きていくためのパワーは保持されたことになる。また、これが生きていける基本でもある。

 だから、病気であればすぐ治したいと思うことが「欲」であり、治癒すれば目標に向かっての努力を再開させることも「欲」になるのである。

 「欲」というとマイナスのイメージっを持たれる方が多いかも知れない。でもそれは間違い。食欲にせよ、睡眠欲にせよ、性欲にせよ大切なことばかり。

 ぜひ、その瞬間、瞬間の「欲」を意識して生きてみてほしいと思う。

 ただ、他人にはバレない方がいい「欲」もあるかも。

 それは各々の判断で行動してくださいね。

 

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2010年10月26日 (火)

説明会にて

 先日の説明会での話である。

 講演の中で私は「ヤバイ」という言葉を発したらしい。自分では注意をしているつもりだが言ってしまったようだ。言葉遣いには本当に気をつけているだけに残念だし、反省もしている。

 このことに気付いたのは一枚のアンケートからである。きっと几帳面で立派な方なのだと思う。直接謝りたい気持ちもあるが、それができない歯痒さも生じていて、その日以来、何か不愉快な想いも残っている。

 原文をそのままご紹介。

 「どの学校の説明会もそうですが、ヤバイとか若者用語は止めましょう。社会では通用しません。」というもの。それ以外何も書かれていない。

 もちろん無記名であった。これも社会では通用しないと私は思うのだが。

 私が残念に思うのは、あちらは私を見ていて、あるいは私を知っていて、私は相手を知る手段がない。ということ。

 本当のことを言うと反省もしたくない。

                         BY  54歳の大人になれない教師

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