コミュニケーション欲
最近、「食欲」・「睡眠欲」と同じ位置に限りなく近づいていると感じる「コミュニケーション欲」。
一次的欲求、つまり「生きるための欲求」の中に「コミュニケーション欲」が含まれてもいいのではと考えるようになった。
そんな名称の欲求があるかどうか知らないが、勝手な私の造語(あっても不思議でないが)。
「コミュニケーション欲」が満たされなくても「死」に至るわけではない(そういう意味では二次的欲求の性欲等に近い)が、「会話」の時間が無いだけで、日に日に弱っていくご老人たちの姿を目の当たりにしたことがある。そう考えるとやはり「生きるための欲求」なのである。
今日本は、私の父(85歳)を含め会話に飢えている年配者が多くなっている(今更の話でもあるが)。父の場合、私が実家に帰ると、できるだけ色々な人を家に呼び、人との関わりを求め楽しんでいる。それだけでも家に帰る意味があると思ってる。
世の中は少子高齢化の影響もあるかと思うが、会話が無い、対話が無い、いわゆるコミュニケーションを取る機会が極端に減ってきているのである。
「コミュニケーション欲」を「会話欲」・「対話欲」に置き換えてもいい。
今私たち(年配者ではないと自覚している者)にできることは自分の身近にいる年配者に対する「思いやり」の心であると思う。年配者の欲求不満解消の中に「コミュニケーション欲」解消があることを知ってほしい。
そして、その思いやりの行為(話し相手になってやる)が「命」を救っていると言っても過言ではないと思う。
「老人ホーム」と「保育園」や「幼稚園」との交流の話は最近よく聞く。
それを「小学校」や「中高校」との触れ合いの場面まで作れないか、考えてみたいと思ってる。
これはあくまで個人の考えなので簡単には実現できないが、何か工夫・努力してみたい。
私は年齢に関係なく、色々な仲間にカマってもらってる。生徒を含めると12歳から85歳あでと付き合っている。このカマってもらえる事が継続できるようにかわいいジイさんになりたいと思ってる。そして、中学生からは「若さ」をいっぱい吸い取っておきたいと思う。
結果、「コミュニケーション欲」だけは常に解消していたい。
その頃は「性欲」は解消でなく、消滅というのだろうか?
まあ、それはどうでもいいかあ!
会話・対話までいかなくても、話を聞いてあげるだけでもOKなのである。
勿論、「ボケ予防」や「ボケの発症」を遅らせる手助けになるかも知れない。
皆さーん、少し真剣に考えてみて!
寂しくならないように今から準備しておこう!
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