日記・コラム・つぶやき

2012年1月10日 (火)

「一流に触れる」ということ

 2012年、やっとスタート!今年もよろしく!

 私の小・中学生の頃、将来の夢は「プロ野球選手」だった。小学校6年生の時、ピッチャーとして少しだけ活躍した。中学生になっても公立の中学で野球ばかりやっていた。勿論、ポジションはピッチャーだった。

 指導者というかお世話になった大人は小学校の頃は近所のオジさん、中学では中3の時に初めて野球の指導者といえる先生と出逢った。

 当時の指導者は褒めて育てるタイプは少なく、あまり褒められた記憶は無い。ただ、初めてピッチング・バッティング・スライディング・キャッチングの基本を学んだような気がした。

 「プロ野球選手」になりたいと先生に相談したが、特にアドバイスはもらえなかった。「そんなこと自分で考えろ!」と言われそうな気がいつもしていた。

 私がそのレベルではなかったのかも知れないが、諦めさせるにしても「一流に触れること」、「一流を知ること」を勧めて欲しかった、と今思う。

 ついでにプロ野球選手になって活躍したら、こんなにお金が稼げるとか、楽しい生活が待ってるとか、何か教えて欲しかった。何より「夢」を見させて欲しかった。

 勿論、良いことばかりではないことも含めてである。

 「一流に触れる」ことは、「一流に近づける」ことである。

 その結果、プロ野球選手になるにはこのレベルは必要とかを「肌」で感じたかった。誰かに相談に乗って欲しかったのだ。そして自分の疑問に答えて欲しかったのだ。自分の根性の無さが一番の理由であることは承知しているが、あまりにも漠然とした世界のことで、簡単に諦めてしまったように今更ながら思う。

 高校2年生から柔道に転向し、大学4年間も柔道を続けてしまった。

 野球をやっている時との大きな違いは一流の指導者に出逢えたことである。そして、日本のトップ、世界のトップ選手を間近で見ることができた。触れることができたのである。

 だったら、もう少し強くなってもよかったのだが、選手としてはあまり活躍できなかった。しかしながら、指導者としての道筋は何か見えたように思った。

 自分の教え子には「一流に触れさそう」と考えた。オリンピック出場までの過程を伝えた。柔道が強いと「どう楽しい」のか伝えた、というより自分で考えてみた。

 「一流」を知ることにより、自分と一流選手との距離感を知る。追いつけるのか、追いつけないのか、追いつく気持ちがあるのか、それぞれの選手が決めればいい、と私は思ってる。

 自分たちの仲間から「一流選手」が誕生する。そうすると「一流」は近くなる。

 「一流」になる可能性は3倍に跳ね上がる。本当にそう思う。

 柔道に限ったことではない。

 まず、お子さまに「一流」を見せて欲しい。

 そこから始まるから!

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2011年12月30日 (金)

年賀状の役割

 年賀状を書いていて、ふと思った。

 楽しみながら書いているだろうかと?

 確かに何も考えず、お正月にお餅を食べることと同じレベルぐらいの感覚である。それなら、私の場合少しは楽しんでいることになる。お餅が好きだから。

 しかし今の時代、携帯電話から始まり、メール、スカイプ等々の発達により、年賀状の役割は年々減って来ているようにも思ってしまう。

 私の場合、年賀状は安否確認のような気がする。何でもない日にお元気ですかとはなかなか聞けないものだ。親しい関係であれば年賀状のやりとり無しでも問題ないが、少し距離のある関係では年賀状の役割は今だに重要と思ってる。

 面倒だと考え始めると当然年賀状の数は、書く相手も届く枚数も減ってくる。

 本当に親しい関係の人間だけの交流はより深くなるが、その他の人間関係は希薄なものとなっていく。

 時代の流れと言ってしまえば、それまでであるが、何か工夫して年賀状の新しい役割を皆で考えてみることも大切だと思ってしまう。

 個人的には宝くじ的な年賀状はどうだろうか?と考えている。

 現在もくじは付いているが賞品より、賞金だろうと思ってる。

 勿論、賞金以外で魅力が出せれば、最高である。

 年賀状の魅力は、20年間年賀状のやりとりだけだったのが、再会のキッカケとなることもあった。

 1年にたった1回の情報交換なのだが、ずーっと繋がっている気持ちが嬉しい。

 それでも年賀状は衰退していくのでしょうね。(ちょっと本音)

 

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2011年12月20日 (火)

エアーマスク

 「マスク」(前回)に続いて今回は「エアーマスク」。

 固形二酸化塩素、ご存知だろうか?

 私は知人に聞くまで知らなかった。しかも、固形としての二酸化塩素は最近まで存在すら無かったらしい。

 「エアーマスク」の話に入る前に予備知識として。

 世界中の国々での二酸化塩素の用途(簡単に)

 まず、二酸化塩素は、非常に強力な殺菌力を持っているが、人体や動物に対して安全性が高く、また環境に対して二次汚染等の心配も無いため、広く受け入れられている。

具体的に

1.殺菌・消毒

2.鮮度を保つ

3.消臭・悪臭除去

4.漂白

 等々が二酸化塩素の特徴である。

 さて、「エアーマスク」の話に戻したい。

 1週間前、固形二酸化塩素を使った商品ができたので、その商品を試した上で意見を求めたいと知人から連絡が入った。

 この類の話はよくあることで、あまり気にすることなく快諾。

 2~3日前「エアーマスク」との対面を果たした。「マスク」のブログを書いた直後の話だったし、ちょっと楽しい気分だった。

 「エアーマスク」とは、最近、よく見かけるIDカードを想像していただきたい。首から掛けている「アレ」である。ただ、IDカードではなく固形二酸化塩素を細かく砕いたものが入っているカード状のもの。表面のシールを剥がすとその瞬間から「エアーマスク」へと変身。つまり、固形二酸化塩素が空気に触れることで気体となり、首から下げている本人の周囲1平方メートルにバリアが張られ、例えばインフルエンザのウィルス等を遮断、殺菌してしまう効果あるらしい。

 現実的に実験結果を見せられると「嘘」ではない「何か」を感じてしまう。

 この冬、私の周りの人間に協力してもらい、私なりのデータを作ってみたいと思ってる。インフルエンザが流行り出す頃が最高の実験タイミング。

 二酸化塩素が持つ他の効能からの商品化されたものもある。それは消臭力を使った商品である。特に加齢臭の除去が明らからしく、老人ホーム等からの依頼が増えるだろうと私たち仲間の話題となった。消臭の商品は来年早々には大量生産に入るとのこと。

 今回の話は、私自身100%信じている友人からの話であるし、実験データからも信憑性のある結果も得られているので、ブログに載せてみた。

 もし、興味を持たれた方がいれば、コメントは勿論、教育相談のアドレスに遠慮なくご連絡を。

 この「エアーマスク」の効き目が世間から認知されるのは時間の問題と私は思ってる。

 そして、用途の幅は限りなく広がっていくだろう!

 皆さんも少しだけ意識しておいてみて。

 会社名はecom(イーコム)。それから、「エアーマスク」は私が勝手に付けた名称。

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2011年12月17日 (土)

マスク

 ここ数年、マスクの進化には驚かされる。性能はもちろん、使い捨て、立体化、可愛らしいキャラクター、きれいな色使い等々、私が子どもの頃と比較すると急激な進歩と感じてしまう。昔はカーゼ地で、洗ってまた使うという、ある意味不衛生な状態でのマスクだったような気がする。息苦しいし、話しづらいし、実は、私はマスクが嫌いでほとんど使ったことがなかった。

 マスク本来の目的・役割は、まず自分をウィルスから守る、そして自分が風邪やインフルエンザにかかってしまったら、周りの人への気遣いということになるのだろう。

 ただ、最近気になることがある。年齢のせいかも知れない。

 それは顔を合わせて会話をしているにもかかわらず、マスクを外さない人が多いことだ。自分がインフルエンザにでもかかって、相手に移したら失礼と思い、マスクを外さないのかも知れない。しかし、良い印象は与えないと私は思う。こちら側の呼気を感じたくないと言っているようにも見えるからだ。

 これも年齢のせいかも知れないが、どんな状況でもマスクを外さない人は暗く、冷たいイメージを抱いてしまうのは私だけだろうか?

 先日テレビで、マスクをする理由を高校生にインタビューしている一場面を観た。その中で「顔を半分以上隠れていることで、気持ちが落ち着く。」と答えている高校生がいた。

 何か「悪さ」でもしようと考えてるわけでもないだろうが、現在のネット社会(自分を明らかにせず、他人を批判できたりする環境)の悪い部分やバイクのナンバープレートを折り曲げて走行している状況に似ていると思ってしまう。

 誤解のないように付け加えるが、決してマスクをしてはいけないとか、マスクをしている人を批判しようというものではない。

 ちょっと提案がある。

 通常マスクをすることはまったく問題なしであり、マスクは大変重要な役割を果たしていると当然私も思ってる。

 ただし、人との会話の際は「風邪をひいているので」とか「花粉症がひどいので」とか「インフルエンザ予防のため」とか、相手に一言伝えることでお互い安心して会話に入れるように思うのだが、どうだろう?

 私は気が弱い(笑)ので、相手がマスクをしたまま会話に入られると「俺のこと嫌なのかなあ」と思ってしまう。

 ちょっとした一言でホッとする。

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2011年12月 6日 (火)

「忙しい」は言い訳

 人から何かを頼まれた時、私は極力「忙しいからできない」と言わないようにしている。自分のどこかで、「忙しい」と言ってしまうことが「かっこ悪い」と考えているからだ。時間に追われている奴とも思われたくない。

 そして、その頼まれ事にできるだけ工夫して対応するよう心掛けている。

 もし、時間的に本当に厳しい場合でも「忙しい」とは言わずに「予定が入ってて物理的に無理」とはっきりという言い方がスマートだとも思ってる。

 「仕事は忙しい奴に頼め」は、よく聞く話しだ。周りから見て忙しそうな人間、実は本人は忙しいという気持ちはほとんど無いと思う。

 時間を無駄なく使って動いているだけで、決して「忙しい」のではない。ただ、本人の自由になる時間が無いだけのことと思ってる程度である。だから、「忙しい奴」は仕事が必然的早くなってくる。努力もあるが、「工夫する奴」だと私は思ってる。

 まあ、それを「忙しい」というのかも知れないが、考え方によっては「充実」しているでも良いではないか、と思ってしまう。その方がカッコイイ!

 私は「束縛されていない時間」を作るための努力をしている。そのためには、「束縛される時間」を計画的に作り、楽しみながら消化することを考える。そうすると、周りから忙しそうに見えたとしても私は「忙しい」という気持ちには一切なってないのである。

 男として見栄として、「忙しい奴」と思われるより、「仕事ができる奴」と思われた方がカッコイイと思う。

 このような考え方になってからは「自由な時間」・「遊べる時間」が増えたようにも思ってる。

 なぜか「忙しい」といつも思ってる人は、何がどのように忙しいのか、しっかり確認してみてほしい。意外に暇な時間が見つかるかも。

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2011年11月18日 (金)

やんちゃ坊主!

 今の時代、「草食系男子」「優しい男子」は確かに増えた。

 世の中、楽しいことが多すぎるのか、女の子と朝まで一緒に過ごしても何事も起こらない、らしい。カラオケだけで充分に楽しめる、らしい。

 私の場合、自分の大学時代(増してや体育学部)を考えただけでも本心から「そんなことあり得ない。」と思ってしまう。今、教師である以上余計なことは書けないが、その「余計なこと」ばかり考えていた。そして、それがカッコイイ「やんちゃ坊主」とさえ思っていた。

 勿論、「余計なこと」ばかり考えている男子が「やんちゃ坊主」と言ってるのではない。私なりの「やんちゃ坊主」とは親分肌で生意気さと優しさとシャイな部分が同居しているというイメージ。

 先日の柔道の時間に久々に私の好きな「やんちゃ坊主」に出会うことができた。条件をすべて満たしてはいないものの普段からハチャメチャの雰囲気を持ちながら、気が優しく、涙もろいみたいな男子生徒に久々に出会えた。

 その実際の内容は次の通り。

 2学期後半となり、授業の柔道と言えども試合をやらせてみた。怪我ばかり恐れていては柔道の授業を実施している意味がないと思うからである。

 普段の様子(立ち技)から強いと思われていたA君(他の生徒たちからも多分優勝するだろうと思われていた)、準決勝でB君に敗れてしまった。紙一重の差での敗戦。悔しそうな表情を浮かべてはいたが、決勝戦でB君が優勝を決めたあたりから、ちょっと雰囲気が違ってきた。

 決勝戦終了後、少し時間が余ったので全員に乱取(立ち技)の時間を与えた。するとA君は早速B君の所へ行き、リベンジの申し込み。B君も快諾。

 10秒後、A君はB君を倒し、リベンジ達成。しかし、あくまで練習でのこと。「試合で勝たなければ意味はない」とA君も言っていた。「確かに」と私。

 授業が終了し、A君以外は全員道場から退出した。道場から出て行かないA君が気になり、私が彼の顔をのぞき込んだ瞬間から、大粒の涙がポロポロ。

 よほど悔しかったらしく、暫く泣きやまない。私は彼が高校2年生だけにビックリと感動を覚えてしまった。「こんな子が居たんだ!」と思ったら嬉しくなった。

 「負けて泣くほどの悔しさを感じることは、嬉しさ・楽しさもいっぱい感じることができることだよ、これから先、いっぱい幸せがやってくるよ。」と思わず、根拠のない話をしてしまった。でもその時にはかわいい笑顔になっていた。きっと魅力的な男性へ成長だろう。

 私も嬉しさとホッとした気持ちでいっぱいだった。久々に「やんちゃ坊主」に出会うことができた。

 実は私が自他ともに認める「やんちゃ坊主」だった。

 そして、今もそうありたいと思ってる。

 

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2011年11月 4日 (金)

有楽町・銀座復活

 昨年、有楽町から西武が消えた。そして、その場所に先月ルミネがオープン。西武と共に歩んできていた阪急はメンズ専門店として再出発。

 私が東京に出てきた頃、同じ場所には日劇があった。日劇最盛期には、当然のごとくデパートへ転換など考える者は一人として居なかっただろうと思う。私たちより10年以上の先輩たちは西武・阪急に変身することへの違和感がかなりあったように義母から聞いたことがあった。

 結果、その西武・阪急開店当時は大変な賑わいで私にとって有楽町・銀座と言えば、「そこ」だった。私が銀座が好きになった理由・場所でもある。

 昨日、その噂のルミネに行ってきた。本来の目的は仙台の母の誕生日プレゼントを買いに出かけたのである。ついでなので、プレゼント内容発表。羽毛の掛け布団だ。ルミネではなく無印良品から送った。

 さて、ルミネの話。

 阪急メンズ館を含め、もの凄い盛り上がりであった。ルミネは食べ物販売に工夫と新鮮さ、斬新さを強烈感じることができた。暫く、ヨダレを抑えながら人混みの中、店内を歩いた。それぞれのショップにもかなりの人だかりができていた。私には分からないブランド等もいっぱい入っているようだ。阪急も魅力的なデパートに変身していた。メンズだけという雰囲気は今までなかったから余計印象的だった。また、一時何となく元気が無かったように見えていた有楽町・銀座周辺にも活気が甦ってきた。街並みが本当に美しく整備されている。とても嬉しかった。

 また、行きたいと思った。

 私は、これらの街作りは学校創りに共通していると思ってる。いや、共通だと考えていかなければならないと強く思った。

 つまり、「人は飽きる」ということを前提に考えた時、伝統を守るということは「隆盛」という伝統も守ることと私は理解している。

 私の好きなディズニーランドも常に新しい企画を考え、来場者にメッセージを送り続けている。だから、また行きたくなる。この「また行きたくなる!」がポイントである。

 以前、私の理想とする学校創りの中でも話したが、昨日の有楽町・銀座散策で自分の考えにあらためて自信を得た。

 学校も常に新しいことにチャレンジし、工夫し、時代を読み、教師・生徒・親が一体となり成長していくことが一番大切であると、本気の本気でそう思った。

 いつも楽しく努力していきたい!

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2011年11月 1日 (火)

電車嫌い

 私は電車が嫌いだ。いや、苦手だ。特に混んでる電車には到底乗れない。

 渋谷に勤めて20年、こんなこと言ってるとイヤミに聞こえるかもしれないが、私はクルマ通勤している。どんな渋滞に巻き込まれたとしてもクルマの中まで渋滞しない。渋谷に勤務している人でクルマ通勤の方は少ないと思うが。

 私の家は駒込。山手線で渋谷まで22分。ドアTOドアでも37分。実はクルマでも37分なのだ。本当に自慢話になってるけど、そんなつもりはない。でも駒込です、ごめんなさい!

 話したい内容はここから。

 最近、浜松に行く機会が多くなり、山手線で東京駅そして新幹線で浜松となる。だいぶ慣れ、混雑時を避ける努力もしているがどうしてもその混雑を避けられない時があった。

 その時、思った事がある。

 多分、皆さん(特に男性)も考えたことがあると思うが、「痴漢行為について」である。

 あの混雑の中で、許されない痴漢行為に走る人がいるのは十分承知している。しかし痴漢と誤解されるケースも間違いなくあると思った。痴漢行為を立証すことも難しいと思うが、痴漢ではないことを証明することはその百倍も大変だろうなあと考えてしまった。

 エリート社員が陥れられたケースもあると聞いたことがあったが、妙に納得できた。例えば、若い女性が男性の手を掴み、持ち上げ「痴漢でーす!」と騒いだら、その周りの99%の人がその男性が間違いなく「痴漢」と思ってしまうだろうと考えたら恐くなった。やっぱり、この理由だけでも私は電車は乗らない方がいいかも(別にエリート社員ではないが)。

 何か話がズレてきたが、そんなことだけで「電車が嫌い」と言ってるわけでない。

 私は車酔い船酔いなどしたことないが、山手線酔いをする。それは人間ウォチングをするからだ、とウチの娘に言われた。確かに車内から夢中で外の風景を見たり、人間を観察したりしていることは事実だ。多分、眼が回るとはこの事なのだろう。

 でも新幹線ではキョロキョロせずに済むからか、かなり快適さが理解できるようになった。ただ、自由席のため座席確保までの緊張感はちょっと重い気分である。たまに座れない時があるのが驚きである。

 グリーン車なら、文句なしの快適空間だろうと思う。乗れるレベルになるよう努力したい。

 今日の話にはオチ、結論がなく、単なる独り言。

 電車に力まず、普通に乗れるように何回も乗ってみようと思う。

 応援はいりません。

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2011年10月21日 (金)

熱いぜ!クリストファー

 一昨日、学校改革を推進している浜松の聖隷クリストファー中学高校へ行ってきた。

 相変わらず、月に1~2回のペースで訪問している。今回の一番の目的は塾の先生方に対しての入試説明会である。

 私の出番は、今クリストファー中高がこの1年半の間にどう変化してきたのか、本校(渋渋)とどのように関わってきたのか、そして今後の展望について等々、私の客観的立場からお話しさせてもらった。

 塾の先生方の反応はとても温かいものであったように思えた。私自身も塾の先生方との今後のお付き合いをお願いしてきた。

 決して新しい学校創りのためだけではなく、時代のニーズ、子どものニーズ、親のニーズに応えていくための努力をクリストファー全教職員でやっていこう!という「熱い想い!」を浜松市内は勿論のこと、全国へも発信していこうと考えている。

 そのためには、

1.言ったことをやる(有言実行)

2.誠意を持って継続実践し、一歩一歩確実前進

3.教職員・生徒・親・後援者が一体となる

4.期待される、望まれる結果を出す

 まだまだあるが、今はこの4項目を大事にしていきたい。

 静岡・浜松に限ったことではないが、所謂地方都市における中高一貫校に対する地元の方々の考え方を変えていかねばならないと思う(実はこれが大変)。

 ただ、公立の中高一貫校がスタートしたことは、我々私学の教師にとって「追い風」と意識することが必要であると思う。公立が動くことで中高一貫校の認知度が上がる。その最終的な結果、「中高一貫校ならやっぱり私立がいいでしょう」という話が出てくるまで努力をしていきたい。そこで初めて「追い風」と言えるのだから。

 地方都市では「公立校進学」がごくごく当たり前のこと。公立に入れないから私立に入るのである。我々私学人はその事を忘れてはならない。

 公立を上回る魅力は何か?

 真剣に真剣に考え、工夫しなければならないと強く感じている。

 今回のクリストファー中高訪問で、先生方のこれまでには無かった「その何か」を感じ取ることができた。

 その「得体の知らぬ熱さ」を感じたのである。

 感覚人間佐藤としては、浜松に通い出して初めての快感だった。

 「熱いぜ!クリストファー、熱いぜ!浜松」

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2011年10月11日 (火)

人間ドック

 今年の夏は人間ドックの予定も入らないぐらい忙しかった。

 まあ私の場合忙しいと言っても、柔道を含め、楽しみばかりの忙しさなので無理に予定を入れようと思えば可能なことである。どこかでイヤだなと考えているから、先送りにしてしまうだけなのかも。でも結果的に9月30日に人間ドックを受診した。日曜出勤の代休を使い、平日検査とした。

 もう20年近く、広尾の北里病院にお世話になっている。この20年の間に人間ドックの機材の進化、システムのスムーズ化、病院の清潔感、決してお世辞ではなく、快適な人間ドックの受診に変身してきている。あとは本人の気持ちの問題だけ(人間ドックなどできれば避けたい)と思う。

 約20年分の自分のデータも瞬時に見ることができ、今年の体重は12年前(1999年)のものと同じであった。メタボからメタボ予備軍への格上げ?いや格下げとなり、それも嬉しかった。身長も1年間で過去最高2㎝伸びていた。実はジェルのつけすぎかも。髪の毛が突っ立っていたのでカーソルが勝手に感知、過去最高となってしまった。何か、中学生より低いレベルの自分にビックリ。でも、楽しんでしまった。

 血圧は薬を飲み始めたのでまずまずの状態、血液検査のコレストロール値も範囲内に収まった。相変わらず見た目デブだが、中身は細マッチョに向けて前進している(嘘じゃない)(笑)。その他、特に問題なしで減量は継続した方が良いとのアドバイス。そのつもり。

 基本的に年に1回の人間ドックであるが、タバコを止めるキッカケを作ってもらったり、メタボの烙印を押されたり、良い思い出・悔しい思い出とともに感謝もいっぱいである。

 一番の感謝は人間ドックを「仕方ないな、やるしかないな!」と思えるようになったこと。

 皆さんも年齢的・気持ち的に必要と考えた時、即「人間ドック」をお勧めしたい。

 受診後の安心感、万一病気が見つかってもそれはそれでラッキーなのだから。

 

 

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